若井 敦子 参議院議員

Leader's Voice

未来を諦めない、挑戦すること、声をあげることで未来は変えられる

参議院の若井敦子議員

Interview

若井 敦子 参議院議員

2025年7月に行われた参院選にて、初当選をした若井敦子議員。それまでに務めてきた岐阜県議会議員3期の経験をいかし、岐阜県の課題解決も含め、国政で活躍されています。また、空手家としての「日本人女性初の世界空手道選手権4連覇」はギネス世界記録にも認定されています。ただ、その偉業を達成するまでの道のりはとても長かったとのこと。その経験があるからこそのメッセージも、うかがうことができました。

地方の課題を伝えながら、日本全体を動かすスピード感に慣れていく

――岐阜県議員から参議院議員になられて、岐阜のイメージに変化はありましたか?

若井議員 改めて、本県が持つ可能性は大きいと感じています。岐阜県は、日本のちょうど真ん中に位置し、豊かな自然や、長い歴史の中で育まれてきた文化や伝統、そして多様な産業など、全国、さらには世界に誇る魅力を数多く持っています。 海を持たない県ではありますが、道路網の整備や交通ネットワークの充実を図ることで、地の利をさらに高めていくことができれば、日本の流通を支える重要な拠点としての役割を果たしていけると考えていましたが、その思いが一層大きくなりました。

どこに住んでいても質の高い教育を受けることができ、きちんと働く場所があり、安心して暮らすことができる地方がなければ、持続可能な日本は実現しません。

地方出身の議員の一人として、「地方創生」がそのまま「日本創生」につながるという思いを大切に、これからも一歩一歩、取り組んでいきます。

若井敦子参議院議員との対談風景

――参議院国土交通委員会に所属されたとのことですが。

若井議員  国土交通行政は、国民の命と暮らしを守る基盤そのものに直結する、極めて重要な政策分野であり、委員会に託された使命の重さを真摯に受け止めて活動しています。

3月の国土交通委員会では、金子国土交通大臣の所信表明に対する質疑の機会をいただきました。 令和7年8月に東海環状自動車道の県内区間が全線開通し、企業立地や雇用創出など大きな効果が現れている一方で、三重県との未開通区間における早期整備の必要性や、国道21号の渋滞対策の重要性など、本県における事業を例に挙げて質疑させていただきました。

地域経済を支えるのは道路整備であり、道路はつながってこそ価値を生みます。 物流の効率化や時間価値の向上など、産業競争力を左右する基盤であることから、政府に対し着実な整備の推進を求めました。

また、治水対策についても、気候変動により災害が激甚化・頻発化する中、治水は命と財産を守るだけでなく、企業活動を支える「成長の前提」であることから、流域全体で水を管理する取り組みの強化と、計画的な治水投資の加速を求めました。

インフラ老朽化への対応については、岐阜県のようにインフラを多く抱える地域では、一本の道路の寸断が孤立につながる恐れがあるにもかかわらず、自治体の技術職員は減少しており、維持管理は限界に近づいていることから、AIやドローンなど新技術の活用による予防保全型への転換とともに、複数自治体、あるいは複数分野のインフラを群としてまとめてマネジメントする、いわゆる「群マネ」について国の伴走支援を求めました。

そのほか、建設業の担い手確保についても、災害対応を担う地域の守り手としての役割は一層高まっていることから、処遇改善や働き方改革を通じて、将来にわたり担い手を確保するための実効性ある施策を求めました。 各質疑について、政府からは前向きなご答弁をいただくことができました。

本県では現在、リニア中央新幹線の開通に向けて、岐阜県駅へのアクセス道路整備も着実に進んでいます。 「選ばれる岐阜」を実現するために、国政の場から関わることができることを幸せに思います。

――国土交通委員会のほかにも、いろいろな役を担っているとお聞きしました。

若井議員  今回、議院運営委員会、デジタルAI特別委員会、憲法審査会、国際問題に関する調査会の委員になりました。 デジタルAI特別委員会でも、大臣所信に対する質疑の機会をいただきました。 人口減少と労働力不足が進む中、自治体運営や経済成長の持続性を確保するためには、AIをはじめとするデジタルの力を最大限活用することが不可欠であると訴えました。 特に地方では、技術職員の減少によりインフラ維持や行政サービスに支障が生じており、AIによる効率化と高度化が急務です。一方で、小規模自治体では導入が進まず、格差も顕在化しています。国が主導し、誰もが活用できる環境整備を進めるべきと求めました。

また、中小企業におけるAI活用の遅れや、補助金手続の煩雑さについても指摘し、現場に寄り添った制度改善と伴走支援の強化を求めました。

そのほか、AI時代における「人間力」の重要性について申し上げました。 AIが進展するほど、最終的に問われるのは人の判断と責任であります。 倫理観や規範意識、他者への思いやりといった、人にしか持ち得ない価値こそが、これからの社会の基盤になると訴えました。 各質疑に対し、こちらも政府からは前向きなご答弁をいただくことができました。

自民党では、「林政対策委員会」の事務局次長や、「中山間地域の農業を元気にする委員会」の役員なども拝命いたしました。 地域の実情をしっかりと国に届け、地域活性化に向けて取り組んでいきます。

――国会議員の新人として、どのような気持ちで国政に取り組まれていますか。

若井議員  全国比例区と選挙区選出の当選同期は合わせて11人います。 11を漢字で書くと「十一」で「士(さむらい)」という字になりますので、私たち同期を「さむらい会」と名付けました。 逆風の中を乗り越えてきた同期の絆は強く、積極的に勉強会を開き、変えるべきものは変えていくという志の下、強い結束でつながっています。

また、自民党本部では、毎朝8時から各種の「部会」が開かれ、法案の内容確認や政策課題について、党としての方針を取りまとめる議論が重ねられています。 そこでは、議員と各省庁の担当者が一堂に会し、活発な意見交換が行われています。

私自身も、その一つひとつの議論に真摯に向き合い、責任感と情熱を胸に出席しております。 こうした場では、私のような新人であっても、挙手をすれば発言の機会が与えられます。 私も「県議会議員として10年間、地域の現場を見てきた立場から申し上げたい。」と前置きし、地域の実情を踏まえた政策の必要性について発言させていただいています。

そして、その場で直ちに各省庁から答弁がなされる、そのスピード感に、国政のダイナミズムを日々実感しています。

こうした経験を重ねるたびに、県議会議員として歩んできた年月が、私にとってかけがえのない財産であると改めて感じています。 だからこそ、県と国をつなぐパイプ役としての責任を強く自覚し、その役割をしっかりと果たしていく決意です。

世界空手道選手権4連覇は、年齢関係なく、もがき苦しんだ経験があったからこそ

――若井議員が達成された「世界空手道選手権4連覇」はギネス記録になっています。空手道に入られたきっかけを教えてください。

若井議員  私は空手界のエリートではありません。4歳の頃、無免許の青年が運転する暴走バイクに正面衝突され重傷を負い、3ヶ月の寝たきり生活、4ヶ月間の入院生活を強いられました。 退院後も後遺症に悩まされ、病弱な幼少時代を過ごしていたことから、怪我のリハビリテーションのとして、小学一年生の時に両親の勧めで、近所にあった空手道場の門を叩きました。空手道を習い始めたものの、長い間勝てない時代を過ごしました。

今でこそ、スポーツ医科学が進歩しているのでベテランアスリートも多いですが、当時は20歳前後がスポーツ界のピークとも言われていた時代でした。 一方で私はというと、社会人になっても勝つことができませんでした。 「今、自分が変わらなければ未来は変わらない。」と一念発起し、世界チャンピオンになる目標を立てました。

若井敦子議員の空手日本代表時代

空手日本代表時代

 

当時、勤務していた建設会社の資材倉庫を練習場所とし、遅咲きながら27歳で世界選手権初優勝、33歳で前人未到の世界選手権4連覇を果たすことができました。 確かに年齢的には「遅咲き」ですが、今振り返れば勝てない時代に培った「反骨精神」があったからこそ、世界一になることができたのだと感じています。 近道とは真っすぐ進む一本道だけではなく、一見、遠回りをしたようでも結果的に近道になることもあることを学びました。

若井敦子議員の空手現役時代

世界選手権4連覇達成(左)

 

これらの経験から思うことは、実社会は甘くなく、100回挑戦しても残念ながら出来ないことはありますが、それが101回目の挑戦で出来るようになることがあるのは、100回の失敗経験があったからこそ101回目の成功を導いたということです。 人と比較ばかりするのではなく、昨日の自分と比べ、たとえ小さな一歩でも踏み出すことができたのなら、それは立派な勝利であると考えています。挑戦の一つひとつが、確実に次の成功を支えている、そのことを忘れてはならないと考えます。

例えば、夢への道のりを山頂を目指す登山に置き換えるのなら、麓から一歩一歩、自らの足で登っていく道のりは多くの時間を要します。 効率を求めるのであれば、山頂までの近道として車やヘリコプターで移動するといった方法もあるかもしれませんが、必ずしもそれが最善とは限らないと思っています。

たとえ社会が、生産性向上を求め、デジタル化へと進んだとしても、「人と人との絆」や「経験」は、効率だけで築けるものではありません。 近道では気づけない人の痛みや真心が、そこにはあると思っています。

自分の足で一歩一歩進むからこそ、道の途中で、誰にも気づかれずにひっそりと咲く一輪の花を見つけて感動したり、もし疲れてしゃがみこんでいる人がいたならば、励まして肩を貸したりすることもできます。 それもまた、人としての大切な歩みであり、結果を恐れず、挑戦を重ねてくことに意義があると思います。 だからこそ、誰もが希望を抱いて未来へ挑戦できる社会の実現に向けて、これからも努力を尽くしていていきます。

――今は空手道で人づくりにも関わっていらっしゃいますね。

若井議員  地元で育った選手が県内での受け皿がなく、就職や進学のために県外へ流出してしまっていた状況がありました。なんとかその流れを止めたいという思いで、株式会社西濃運輸さん、学校法人岐阜済美学院さんに、大きなご理解をいただいたことで、念願の空手道部が創部されました。

私は、それぞれのチームの初代監督を務めさせていただきました。 おかげさまで、全日本実業団選手権、全日本大学選手権で日本一になることができました。 現在では、県内選手の受け皿としてだけでなく、全国から優秀な選手が集まるまでのチームに成長しています。 選手たちが夢に向かう環境を整えていただいたことに、心から感謝しています。

空手道との出会いがなければ、議員としての私は存在しなかったかもしれません。 空手道の普及と人づくりに取り組むことは、私にとって空手道界へのご恩返しだと思っています。 空手道一筋で歩んできた私ですが、いま真剣に稽古に励む青少年たちに、努力を重ねれば未来はきっと拓けるということを、自らの歩みを通じて、少しでも示していけたらと思っています。

――県民のみなさんにメッセージをお願いします。

若井議員  私は地方の声を国政に届ける役割を担っており、「岐阜から日本を変える。」その決意を新たにしています。 人口減少や地域経済の縮小といった課題に直面する中で、地方が主役となる未来を切り拓くことが求められています。 岐阜には、豊かな自然や産業、そして地域を支える人の力があります。この力を結集すれば、必ず新しい時代を切り拓くことができると信じています。 今こそ、一人ひとりが立ち上がり挑戦を恐れず、一歩を踏み出す時であり、その積み重ねが、地域を動かし、日本を動かす大きなうねりとなると信じています。

「人を興し、地方を興し、国を興す」という気概を持ち、「限界を超えて見せる!」というアスリート魂を再燃させ、世界を翔ける岐阜県、日本を実現させるために「全力若井!!」で職責を果たしていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

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