岐阜のまちの豊かさやすばらしさを
次世代につないでいきたい

岐阜商工会議所会頭
村瀬幸雄さん

ふるさとの資源を見つめなおす

―― 地域に寄せる思いについてお聞かせください。

村瀬 私自身、岐阜生まれ岐阜育ちですが、商工会議所の会頭を務めるようになってから、より一層、岐阜のまちの豊かさや素晴らしさを実感していますので、次の世代につないでいきたいと思っています。特に、これまでは海外も含めて外へ出ていく意識が強かったと思いますが、新型コロナウイルスの流行によって、ある意味では自分たちのふるさとの  良さを見つめなおすいい機会になったのではないかと思います。そんな中で、商工会議所では長良川の持つ観光資源の魅力を再認識してもらおうと「かわべの時間」という事業を実施し、河原で石を投げたり、ロックバランスということで河原の石を積んだり、ペイントするなどで、川と親しんでいただきました。また、「かわべの宵(ゆうべ)」では、提灯を持って鵜飼いを楽しんでいただきました。河原での石投げには小学校の児童などに参加してもらったのですが、子どもたちにとっては初めての体験だろうと想定していました。ただ、意外だったのが、30代、40代の親御さんたちの中にも、「ずっと岐阜に住んでいますが、河原に降りて、こんなに川の近くに来て石を投げたのは初めてです」と言われた方がいたことです。私自身は水遊びをしたり、川辺でよく遊んだ記憶があるのですが、最近の若い方は、岐阜のシンボルの一つである長良川を知ってはいても、実際にふれたり、親しむ機会がないことを改めて知ることができました。ふるさとの資源をもう一度しっかり見直していくことは大事なことだと気づかせてもらうよい機会であり、新しい発見になりました。

―― 長良川の話題が出ましたが、金華山についてはいかがですか?

村瀬 私は金華山のふもとに住んでいますから、時々、金華山まで歩くことがあります。私自身もそうですが、市民の皆様にとっても非常に親しまれていると思います。長良川と金華山は、岐阜のまちの象徴だと思いますから、現代人が、川や山をいかに活かしていくかが大事になってくると思います。

withコロナ時代の新しい価値観

―― 地域をいかに活かしていくかという意味では、新しい事業の創造が重要になると思いますが、地域活性化にとって、今後どのようなことが大切になってくるでしょうか?

村瀬 先日、高山市で知人の結婚式に出席したのですが、新婚のお二人は、お互いに高山市で生まれて、大学からは東京へ出て就職してキャリアを積んで、再び高山市へ戻ってきました。そんな彼らが、お互いが飛騨高山のことを理解している人と一緒になりたいと話していたのですが、その言葉がとても印象に残りました。そう考えると、人生の価値観、あるいは幸せの価値観が少し変わりつつあるのではないかと思っています。私たちの時代は、地元で勉強して、東京や関西のいい大学へ入って、大企業へ勤めることが幸せであり、人生の一つの目標だったと思います。でも、最近の若い方たちは、自分たちのふるさとのアイデンティティを大切にして、自分がやりたいことをしっかり実現したいという希望が大変多くなっています。デジタル化の進展の中で、必ずしも東京にいないと満足できる仕事ができないわけではありませんし、海外へ行きたいと思えば、すぐに行くことができる時代です。それよりも、自分がよく知っている親や親戚、あるいは気心が知れた友人がたくさんいる地元で、自分がやりたい仕事や地域貢献をしたいという部分に価値観を求めていると、ひしひしと感じています。東京の大学に行って、大都会の大企業に一生勤めるのが最大の幸せということではなく、地方で仕事をすることが十分幸せだと感じる時代が来ていると思います。

―― その意味では、若い方の創業したいという機運も高まっているのでしょうか?

村瀬 コロナ禍にあっても、創業したいという相談は多いですし、需要は高いです。岐阜商工会議所では、14日から「あおぞらdelica事業(移動販売車)」をスタートします。コロナ禍で移動販売にビジネスチャンスを掴みたい会員の方や、飲食や物販の創業を目指す方々にテストマーケティングの場として使ってもらえたらと思います。コロナ禍で縮小したビジネスマインドを「攻め」に転じる契機の一つにしたいと思います。

SDGsや脱炭素は経営における新しいキーワード

―― これからの地域の成長や発展に関して目指すことを教えてください。

村瀬 若い人たちの幸せという価値観を実現できる地域づくりをしていくことが大事だと思います。デジタル化は目的ではなく、幸せという価値観を実現するためのインフラづくりです。また、脱炭素やSDGsは地方こそ適合条件が多いと感じていますので、その辺りも重点的に進めていきたいと思います。

―― SDGsに関しては、取り組み企業も増えていますか?

村瀬 はい。これまでの会社は、いい製品を作ることと、コストを下げて安くすることが一つの目的でした。いい製品を安く作ることにプラスして、SDGsに適合している、脱炭素を考えているといったことが経営の要素の中に入ってきつつあります。今後ますます重要になってくると思いますので、商工会議所としても、さらに周知を図り、後押ししていくことが大切になると考えています。

部活や遊びに夢中になった学生時代

―― 話題は変わりまして、少し村瀬会頭の人となりについてもお伺いしたいと思います。簡単に生い立ちについてご紹介ください。

村瀬 私は長良と高富の間の岩崎という地で生まれました。まだ名鉄電車が高富まで走っていましたので、電車の利用が多かったことを記憶しています。柳ヶ瀬は、お盆と正月ぐらいしか連れていってもらえないぐらいで、当時は岐阜を遠く感じていました。

―― 学生時代の思い出についてはいかがですか?

村瀬 学生時代は名古屋にいたのですが、ギターマンドリン部に所属して、4年間続けました。部活や遊びに夢中で、今の時代の学生の皆さんの方がしっかり勉強されていると思います。

香港駐在が仕事のターニングポイント

―― 仕事の中でターニングポイントになったことがあれば教えてください。

村瀬 様々な先輩やいろいろな同僚など、皆さんに助けられて非常に幸運な生き方しているのではないかと思います。ただ、31歳頃だったと思いますが、当時、地方銀行も国際化ということで、やれニューヨークだ、上海だ、香港だと言っている時代がありました。英会話が堪能なわけでもないし、国際化に対する知識もなかったのに、人事部から「香港へ行って支店を作ってこい」と言われました。ちょうど30代半ばで吸収力も高かったでしょうし、香港がいい時代だったこともあって、よい経験をさせてもらったと思います。そのまま56年駐在していましたが、帰ってきたら浦島太郎状態になったことも同時に思い出します。銀行のシステムが大きく変わっていて、自分の銀行なのに様式や書式がまったく解かりませんでした。

好奇心を持って何事にも挑戦してほしい

―― 日頃の運動やスポーツについても教えてください。

村瀬 日常的に運動するということは、なかなか難しくて、休みの日に家の周りを少し歩くことを心がけています。あとは時々ゴルフに出かけるぐらいです。ただ、5年前になりますが、還暦になった記念というわけではありませんが、一度はハーフマラソンに挑戦してみようということで、「高橋尚子杯 ぎふ清流ハーフマラソン」に参加しました。会社の役員仲間と半年ぐらい練習して、なんとか完走することができました。今でも自宅に賞状が飾ってありますが、タイムは2時間46分でした。一度達成してしまったので、それ以来は挑戦していませんが、印象深く残っています。

―― 趣味についてはいかがですか?

村瀬 年齢を重ねていくうちに趣味も変化していて、最近は美術館へ行ったり、コンサートで音楽を聴くことが好きです。ただ、ここ2年ほどはスケジュールが多忙で、残念ながらペースは落ちています。

―― 最近読んだ本があれば教えてください。

村瀬 乱読、雑読で様々なジャンルを読むのですが、最近だと塩野七生さんの「日本人へ」は、いろいろ考えるヒントをいただけたと思います。

―― 最後になりますが、若い世代に向けてアドバイスをお願いします。

村瀬 好奇心を持って何事でもいいから挑戦することが大事だと思います。スポーツでもいいし、文化活動でもいいと思います。失敗や挫折もするでしょうけど、それが成功のもとになると思います。また、チャレンジして、失敗して、自分一人だけで悩むのではなく、同時に周りの人にも助けてもらいながら、自分の目標を少しずつ固めていけばいいと思います。