【土岐商工会議所】
土岐商工会議所 会頭
石黒 信彦 さん
(石黒商事株式会社 取締役会長)

酒井 良郎 さん
(株式会社マルエス産業
代表取締役社長)

伊藤 克紀 さん
(株式会社カネコ小兵製陶所
代表取締役社長)

鈴木 達也 さん
(高砂工業株式会社
代表取締役社長)
【石黒会頭メッセージ】
ふるさとへの強い思いが原動力
「いいまち」をつくっていきたい
可能性を秘めたまち、土岐市は今がチャンス
-- 現在の土岐市の状況はいかがでしょうか。教えてください。
石黒会頭 2022年10月に「イオンモール土岐」がオープンし、17年前には「土岐プレミアム・アウトレット」がオープンしています。両方合わせて年間1300万人の集客を目標にしていますが、5万6千人のまちにこれだけの人が来るとは、すごいことではないでしょうか。かつての土岐市から変化していることを市民が自覚しないといけないと思います。可能性を秘めているまちなので、今までとは違う動きをしていかなければいけません。
-- なぜ、可能性を秘めたまちと思われるのでしょうか。
石黒会頭 高速道路が2路線、中央自動車道と東海環状自動車道が交差しており、スマートインターも含めたインターチェンジが3箇所もある便利な交通網と、歴史もあり、伝統産業もあり、自然も豊かな場所だからです。なぜ今まで土岐市全体が賑わってこなかったのか不思議で仕方ありません。中津川にリニア中央新幹線の駅が設置される前の今が絶好のチャンスだと思います。
-- 土岐市の観光スポットとしてはどのような場所がありますか?
石黒会頭 「織部の里公園」には国指定史跡の「元屋敷陶器窯跡」があり、同じく国指定史跡の「乙塚古墳附段尻巻古墳」、美濃焼の陶祖の碑、「土岐市美濃陶磁歴史館」などがあります。ただ、それぞれを繋ぐ線になっていません。まずここを訪れてから各施設に行っていただくようなメインの場所が必要だと考え、今、基本計画を作成しているところです。
-- まちづくりの進め方を教えてください。
石黒会頭 私は一般社団法人土岐市観光協会の会長も務めており、2021年10月に、土岐南多治見インターチェンジのそばにある「テラスゲート土岐 まちゆい」内に、観光拠点施設「もとてらす東美濃」を開設しました。土岐市だけでなく、東美濃6市1町の物産を集めて販売し、東美濃全体の観光情報を案内をしています。「土岐プレミアム・アウトレット」からのお客さんもいますし、「イオンモール土岐」には観光協会のブースも設けていただき、そこからのお客さんも増えています。観光協会の会長として、「土岐プレミアム・アウトレット」の支配人、「イオンモール土岐」のゼネラルマネージャー、「NEXCO中日本」の本部長と交流をし、各施設の連携をとりながら、相乗効果を発揮できるよう取り組んでいます。
観光協会はまちづくり協議会だと思っていますので、商工会議所の会頭と兼任しながら、土岐を「いいまち」「誇りのもてるまち」にしていきたいと思います。

もとてらす東美濃

土岐プレミアム・アウトレット

イオンモール土岐
市役所と共に取り組む駅前のまちづくり
-- 石黒会頭は土岐市のご出身でしょうか。
石黒会頭 土岐で生まれて育ち、学生の頃に6年間、東京へ行きましたが、ほとんどを土岐市で暮らしています。小さい頃は美濃焼が高度成長の波にのってとても盛んでした。それに合わせて石油製品やそのほかの業界の企業も一緒に伸びて、非常に恵まれた環境がありました。土岐市駅前も繁栄していて、多治見、可児、瑞浪から人が集まってくるほど。飲食店も商店もみんな活気があった風景を知っているので、今の光景はさみしく感じます。駅前の賑わいは先人がそれだけ頑張ってきたという証拠。今の私たちももっと頑張らないといけません。
-- 駅前のまちづくりも考えられていますか。
石黒会頭 駅前が賑わう姿を見ているからこそ、まちに対する思いがものすごく強く、特に中心市街地のまちづくりに長年、携わってきました。うまくいかなかったこともありますが、土岐市の加藤市長はかつて、一緒にまちづくりをしていた仲間ですから、市役所と一緒に動いていきたいと思っています。
-- 商工会議所ではどのような取り組みをされていますか。
石黒会頭 僕はどちらかというと、神輿を担いで引っ張っていくタイプです。商工会議所ではまず、まちづくり支援戦略室、人づくり戦略室、美濃焼戦略室、事業者戦略室の4つの戦略室を作りました。それぞれ室長と副室長設け、副会頭もついて、僕は必ず全てを回り、自分の思いをみんなさんに伝えています。
甘えんぼうの末っ子がフェンシングで鍛えられた
-- 今の姿を拝見すると、小さな頃はとても活発だったのではないでしょうか。
石黒会頭 いいえ、3人兄弟の甘えっ子の末っ子の長男で、目立つわけでもなく、普通の子でした。親が商売をしていましたから、継ぐものだとは思っていましたが、父が岐阜県の石油関係の理事長を務めるなど、とにかく立派な人物で。周りからは「お前は大変やな、立派な父をもって」と言われていました。きっと、ひ弱に見えたので、そのような声がかかったのでしょう。
-- 会社を継ぐことは、覚悟を決められていたのですか。
石黒会頭 高校で剣道をかじっていたのと、友達をつくりたいという思いで、明治大学に進学してからフェンシングを始めました。全国大会で上位入賞するような部だったので、とても厳しくて。当時は学生運動が激しくて、ドロップアウトするような学生もいましたが、麻雀、パチンコをする暇もないくらい練習に打ち込んでいました。卒業するまでに強くなることができて、アジア選手権で優勝もしました。フェンシングで鍛えられました。
-- 石黒商事株式会社さんは多角化経営をされていますね。
石黒会頭 1928年(昭和3年)創業、2023年で95年目の会社になります。祖父が美濃焼関連の機械油やベルトなどを売り歩いていたことが始まりで、2代目の私の父になってから、高度成長の波に乗って私たちも成長してきました。その後、美濃焼の縮小に伴う衰退の危機を避けるために、産業用・工業用の油から一般家庭用・業務用の石油製品やLPガスに切り替え、今も続けることができています。会社の60周年で父が65歳の時、語呂がいいからと急に社長を引き継ぐことになり、私が3代目となりました。
これからは多角化をしていこうと、リフォーム、太陽光発電、フィットネスカーブスやコメダ珈琲の運営、不動産などの事業を行っています。本業の石油製品、LPガスを核にして、生活に寄り添うジャンルに変化してきました。創業者である祖父がいい商売を選んでくれたのだと、感謝をしています。多角化経営でいろいろなつながりができていることも良かったと思っています。
人や世の中の役にたつことを追い続けたい
-- お忙しい毎日だと思いますが、今の1番の楽しみを教えてください。
石黒会頭 楽しみというよりも、弊社の仕事は息子に任せているので、今は商工会議所やまちづくりの活動に100%注ぎ込んでいます。この年齢になり、いろいろな経験をしてきたので、あとは世の中の役に立っていきたいと考えています。そうした日々を送りながらも、先祖が所有していた五斗蒔の土地に、研修センターを中心にした5600坪ほどの森づくりをしています。社長時代に10年かけて造った森で、なかなか今は取り掛かることができないのですが、さらに充実させていきたいと考えています。

石黒商事株式会社の研修センターがある「きらめきの森」
-- 若い方へメッセージをお願いします。
石黒会頭 若い時、山本有三さんの小説で「たたった一人しかない自分をたった一度しかない一生を本当に生かせなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」という言葉に出会い、今もそれを使い続けています。意味は「生きている以上、人や世の中の役に立つ」ということです。稲盛和夫さんをはじめ、私が尊敬する経営者のみなさんの生き方もその通りで、利他の心をずっと追い続けています。
もう一つ、相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」の詩の中で、生まれ変わり、死に変わり、永遠の過去の命を受け継いで「今ここに自分の番を生きている それが あなたのいのちです それが わたしの いのちです」という言葉があります。先祖はものすごく大事だということを父から教えられました。3代目の自分の番を一生懸命生きて、次の息子へバトンを渡しました。そして、息子が今度は自分の番だ、と思って続けてくれたらという思いもある、非常に好きな言葉です。
-- 社長を務められていた時はそのような言葉を、従業員さんにも伝えられていたのでしょうか。
石黒会頭 代表を務めていた30年間、月に3回ほど社長からのメッセージとして文章を社内に流していました。今、息子から、創業100年に向けて会社の歴史を書いてくれないかと頼まれていまして。創業当時のことは詳しく分からないのですが、自分の時代の部分はその社長からのメッセージがあるので、読み返しています。いろいろやってきたなという思いと、書いてきて良かったなという思いと、このような機会を与えてくれた息子への感謝と、従業員のみなさんにお世話になったということを感じながら書き進めています。先人が何をしたのか振り返ってもらうために、記録として残すことは大事なことです。そして、今はまちづくりをしっかりやっていきたいと思います。可能性のある土岐市を、商工会議所と観光協会と市役所が一つになって、いいまちにしていきます。
■土岐商工会議所
〒509-5121 岐阜県土岐市土岐津町高山4
セラトピア土岐4階
TEL.0572-54-1131
FAX.0572-54-1188