美濃加茂商工会議所会頭
則竹晃司さん
(則竹運輸株式会社 代表取締役)

ポテンシャルのある美濃加茂市
動き出すことでプラスに作用するまちづくり

これからのまちづくりの構想に、かつてのような、楽しくて魅力のあるまちを思い描く

-- 美濃太田駅前に本社を構えていらっしゃる則竹運輸株式会社について教えてください。

則竹会頭 私の曽祖父がこの美濃加茂の地に居を構えたことが始まりです。当時、この辺りには家もほとんど無く周りは田畑ばかり。もちろん駅もありませんでした。その後、大正10年に美濃太田駅ができ、町も徐々に発展・拡大していきました。現在の事業については父が大学卒業を機にこれからの家庭エネルギーは薪炭からプロパンガスに置き換わるとみて、ここにプロパンガスの販売会社(現在の美濃加茂ガス株式会社)を起こしたのが始まりです。その後、このガス会社が徐々に大きくなるにつれ、その配送部門として1975年に設立されたのが則竹運輸です。現在は美濃加茂市を中心に可児市、関市、各務原市、加茂郡などを対象エリアに安全で確実なガス配送を日々行っています。

-- その後はどのような経緯で事業を継がれたのでしょうか。

則竹会頭 地元の高校を卒業し、大学の入学を機に東京へ出ました。大学卒業時にはすでに兄が父と一緒に家業を行っていたこともあり、深く考えることもなくそのまま東京で石油会社に就職しました。その石油会社では海外部門に属し原油の買付けなどの仕事をしていましたが、両親の健康問題があり40歳を目前にして家業を手伝うことにしました。当時の仕事にはやりがいも感じており、今から思うとよくもあっさり20年近く務めた会社を辞める決断ができたものだと思います。その後は則竹運輸の代表としてトラック運送業界の仕事にも関わり、さらにこの度、美濃加茂商工会議所会頭まで務めることになりました。サラリーマン時代には考えもつかなかったことです。

-- 子どもの頃は美濃太田駅前に住まわれていたということですが、当時の駅前はどのような雰囲気でしたか?

則竹会頭 昭和30~40年代の美濃加茂はこの地域の中心地でした。美濃太田駅に電車が到着すると、人がたくさん降りてきて駅の階段が人でいっぱいになるくらいでした。駅前広場には周辺の町から買い物などに来た人で溢れ、バスやタクシーも頻繁に行き来していました。駅前通りは今から思えば狭い道でしたが、渡るにもひと苦労したことを覚えています。イベントもたくさん行われました。当時の中濃体育館(現在のプラザちゅうたい)ではコンサート、プロレス、大相撲などが開催され、サーカスも毎年開催されました。春には町内会対抗の子ども神輿、夏には花火大会と盆踊り大会。それはもう賑やかな町の中で育ちました。残念ながら今は人通りもすっかり減ってしまい寂しい限りです。

-- 美濃加茂に戻られてからの印象はいかがでしょうか。

則竹会頭 ここで生まれ育ったということを差し引いても、美濃加茂は本当に住みやすいところだと思います。程よい田舎とでも申しましょうか、山や川などの自然を日々感じながらも日常生活で不便を感じることはない。鉄道や道路網も充実しており、都心部へのアクセスも極めて良好ですばらしい住環境だと思います。美濃太田駅から中山道、木曽川へとまっすぐ延びる商店街は町のつくりとしてもたいへん魅力があります。
かつての賑わいのある、魅力にあふれた美濃加茂を知る者としては今の状況をなんとか変えたい、というよりも、何とかしなければならないという一種の使命感を感じ会頭をお引き受けしました。

かつての美濃太田駅(1960年代)

当時の美濃太田駅前通り(1960年代)

-- 美濃加茂商工会議所ではまず、どのような取り組みをされていく予定でしょうか。

則竹会頭 SNSなどのネット媒体をフル活用することによって、情報発信と情報収集の頻度と密度を高めることです。すでに情報媒体の中心は新聞・雑誌・テレビからネットへと移っており、時代に合わせた方法で取り組まなければいけません。また最近は副業が話題になっていますが、全国で活躍されている美濃加茂出身の人がたくさんいらっしゃいます。そうした方たちが持っているノウハウやスキルを地元企業と結び付けて活用していただくなど、ふるさとに思い入れのある方たちとのネットワークができたらおもしろいのではないでしょうか。
近年、経済と政策の一体化はより密接になってきています。地元経済の状況をより早く的確に把握してもらい政策に反映してもらうべく、市との連携を強化していきます。

エリア全体で一つのコミュニティをつくる構想

-- まちづくりのアイデアはありますか?

則竹会頭 そのエリアに住む人たちと企業(働く人たち)が一体となって街づくりを行っていく、かつての自治会のようなエリアコミュニティを作る方法も良いと思います。エリアで事務所を構える企業にはそこで行われる企画への参加を条件とします。その代わり、小さな会社ではなかなかかな得られないサービスをエリアとして提供します。シェアオフィス、EVのカーシェアリング、共通の福利厚生施設(飲食店、トレーニングジムなど)などです。エリアの住人と法人が一緒になってそのエリアを育て付加価値を高めていくという考えです。こうしたエリアに魅力を感じてもらえれば自ずと人や企業が集まり、その人たちが更に新しいアイデアを出してエリアを育ててくれるという循環を狙うのです。

-- 海外での生活が美濃加茂のまちづくりのアイデアに繋がっているのでしょうか。

則竹会頭 以前勤めていた石油会社で海外部門にいたこともあり、イギリスとシンガポールに駐在していた経験があります。イギリスは歴史のある古い街並み、シンガポールは対照的に近代的な街並みというイメージですが、どちらにも共通して感じるのは全体として調和のとれた余裕を感じさせる街並みということです。このエリアはこういうまちにしようという統一されたビジョンが明確にあること。個々の建物ではなく、エリア全体での調和を前提に、まちづくりを考える必要があると強く感じています。美濃太田駅から中山道・木曽川へまっすぐ延びる美濃太田駅南地区はそうした魅力あふれるまちに変貌できるポテンシャルがあります。

現在の美濃太田駅

現在の美濃太田駅前通り

木曽川の風景

木曽川の風景

動き出すことで何かが変わり、まちを作り直すことが可能に

-- 則竹会頭のご趣味を教えてください。

則竹会頭 現在の趣味はもっぱらゴルフをすることです。社会人になって始めましたのでゴルフ歴は40年ほどにもなりますが今が一番熱心かもしれません。美濃加茂周辺には30分程以内で行けるゴルフ場が10か所以上あり、そうした環境にも恵まれたことが原因かもしれません。
自慢はシンガポール駐在時代にホールインワンを2度達成したことです。ちょうど最初の子どもが生まれる前後に立て続けに起きましたのでもう20年以上前の話ですが強烈な記憶として残っています。

-- 若い方へメッセージをお願いいたします。

則竹会頭 ぜひ美濃加茂のことをより深く知っていただき「美濃加茂愛」をもってほしいと思います。
海外へ行って驚くのは、住人たちが地元のことをよく知っているということです。歴史や文化、地場産業など自分たちの町に対する理解が深いのです。子ども達にはこの地での楽しい思い出をたくさん作ってもらい、愛着を持ってもらい、大人になっても自分の町を大切にしてもらいたい。だからこそ、私たち大人には魅力あるまちをつくる使命があるのではないでしょうか。

美濃加茂商工会議所
〒505-0042 岐阜県美濃加茂市太田本町1-1-20
TEL. 0574-24-0123 FAX.0574-24-0120