岐阜県も若者も、世界で活躍できる可能性をもっている

参議院議員
渡辺 猛之 さん

岐阜県の世界に誇れる技術レベルを発信したい

-- 渡辺さんが感じる、岐阜県の印象を教えてください。

渡辺議員 私は八百津の中でも、一番の山の中にある集落で生まれ育ちました。岐阜県全体も豊かな山と、そこから育まれる清らかな水が豊かな川を作っているところです。まさに「山紫水明」が岐阜県の印象です。

-- 岐阜県にはどのような土地柄があると思われますか。

渡辺議員 資源が豊かな岐阜県の歴史的な特徴とも言えますが、親から受け継がれた田畑や山林、技術を守っていくことで、贅沢はできないけれども暮らしていくことができるところがあるのではないでしょうか。そのためか、自分が自分が、と前に出ることはない奥ゆかしい性格の方が多いと思います。岐阜県が言われている「作り上手の売りベタ」はここから繋がっているのかも、と感じます。

-- 「作り上手」ということはものづくりに長けている地域ということでしょうか。

渡辺議員 その通りです。例えば、関の刃物、東濃の陶磁器、飛騨の木工家具など、ものづくり技術は全国的にみても、また、世界的にみてもトップクラスではないでしょうか。せっかく良い技術をもっているのに、発信力という点では奥ゆかしい。地元出身のひいき目を抜いても、世界と戦える製品や技術を岐阜県はもっていると思います。レベルの高さをもっと自覚していただき、ぜひ、岐阜県の良さやものづくりの素晴らしさを世界に発信して欲しいと思いますし、私自身も発信していきたい気持ちがあります。

世界と直結できる交通網整備

-- 岐阜県内ではどのような活動をされているか教えてください。

渡辺議員 私は名古屋大学卒業後、松下政経塾で3年間お世話になり県議会議員になりました。松下政経塾で学んだ「現地現場主義」は私の政治信条でもあります。ここ3年間はコロナ禍でなかなか、県民の皆さんに直接、お目にかかる機会が少なかったのですが、やはり、自分の足で岐阜県を回り大勢の方とお話をして、どのような課題があるのか、また、岐阜県でどんなムーブが起こっているのかなど、リアルに理解していきたいと考えています。

-- 県内を回られるということですが、かつてに比べると、道路整備もだいぶ進みましたね。

渡辺議員 岐阜県は海もない、港もない、空港もない県です。だからこそ、道路ネットワークが生命線になります。東海環状自動車道、濃飛横断自動車道、中部縦貫自動車道といった自動車道路と幹線道路の整備を進めていくことが、岐阜県の発展につながる揺るぎない事実です。

-- 道路整備に関しては、地域からの要望も多くありますか?

渡辺議員 20228月まで国土交通副大臣を務めており、圧倒的に地元岐阜からの要望が多くありました。首長さん方も道路の重要性、必要性を感じられているので、県民のみなさんが同じ方向を向いて進んでいるという印象です。道路はあくまで手段であって目的ではありません。道路整備後は民間の知恵や活力に期待し、ぜひ、大いに活用していただきたいと考えています。

-- 今後、岐阜県の活力の維持や発展のためには、どのようなことが必要でしょうか。

渡辺議員 間違いなく大きなインパクトになるのは、2026年(令和8年)の東海環状自動車道の全開通、もう1つは、リニア中央新幹線の開通です。工業、産業、観光など、人の流れが変わっていくでしょう。特に工業の面についてお話しすると、国土交通副大臣を務めていた時に、四日市港の新たなコンテナターミナルの整備に携わりました。現在のキャパのおおよそ2倍になり、2026年(令和8年)に一部共用が開始されます。東海環状自動車道の全開通が重なりますので、四日市港と連携すれば、海なし岐阜県に港ができるというイメージができます。そうすると、世界と繋がることができるのです。世界に向けて岐阜県から何を発信していくのか、また、世界から何を受け入れることができるのかを考えられる時代になります。岐阜県と世界は直結していると考えることができます。

-- リニア中央新幹線についてはいかがでしょうか。

渡辺議員 観光の発展が期待できます。中津川に駅が開設されるので、岐阜県全体に効果を波及させるためにも、道路ネットワークが大きな役割を果たすと思います。

釣り好き少年が地元の応援で政界へ
若いうちから世界を見て欲しい

-- ご趣味を教えてください。

渡辺議員 小学校5年生の頃から始めた川釣りです。昔に比べると回数は減ってきましたが、今でも釣りの時間を取れるように努力しています。岐阜に帰ってきた時は地元の白川や郡上などの長良川筋で鮎釣りをします。

-- 学生時代はどのような青年だったのでしょうか。

渡辺議員 私が卒業した小中学校は統廃合されてしまいましたが、当時の同級生は10人ほどだったので、同級生イコール家族のような感じで過ごしていました。高校から下宿を始め、名古屋大学では家庭教師のアルバイトを始め、岐阜でも家庭教師をしていましたので、大学と行ったり来たりしながら釣りをしていました。当時、鮎釣りシーズンになると、6月から8月までの3ヶ月で70日は川に入っていたのではないでしょうか。若い人で釣りをされる方がいなかったので、学生の頃は60歳を超えた方達と一緒に行くこともありました。

-- 釣りの魅力を教えてください。

渡辺議員 釣り竿を出していると、他のことを全部忘れて集中できるところです。とにかく川に入ってしまえば、川から上がるまではずっとそこに没頭できます。溜まってしまったストレスの解消にもつながります。

-- 議員になられたきっかけを教えてください。

渡辺議員 家が小さな商売をしていましたので、学生時代は長男の私が家を継ぐだろうと思っていました。しかし、大学を卒業後に政治を勉強したくて「松下政経塾」に入ったことで、もともと政治が好きだったこともあり、選挙という目標ができました。ちょうど松下政経塾の2年目の終わりに岐阜県議選があり、ありがたいことに地元の方から立候補してみないか、という声がかかりました。

とは言ってもまだ若かったため1回お断りをしたのですが、どうしてもということで、当時の松下政経塾の塾長に相談をしたら「いつか選挙に出るつもりなら、若い時に出た方がいい。自分が思っていることを言って、もし、それが通らなくてもいくらでもやり直しができる」とアドバイスをいただきました。地元の方からお声がかかるというありがたさもあり、立候補させていただきました。

-- 地元の方が背中を押してくださったのですね。

渡辺議員 本当にその通りで、そして、先日お亡くなりになられた、当時の県議会議員だった新藤秀逸先生が「とにかく出なさい、あとは全部私が面倒をみるから」と言ってくださいました。こんなありがたいことはありません。

-- ご自身の経験もふまえ、若い方にメッセージをいただけますでしょうか。

渡辺議員 若さの一番の魅力は「可能性」です。若いうちにいろいろな世界を見ることがすごく大事。誰の人生にも良い時と悪い時はあります。もし、悪い時が訪れてもそれで終わりではありません。世界や社会は思っている以上に広く、自分が活躍できる場所がどこかに必ずあるはずです。だからこそ、若いうちにどんどんいろんな世界を見て欲しいなと思います。現地へ行けなくても、いろいろなところで世界と繋がることができるのはネットの時代だからこそ。世界の人の考え方も理解できる時代になってきています。そして、いろいろ見てきたけれどやっぱり岐阜県が一番だよねと、岐阜に帰ってきていただけるのが私の理想です。