INTERVIEW
Leader's Voice
生まれ故郷に想いを寄せて 東京にいながら岐阜とつながることができる東京岐阜県人会
Interview
吉村 泰典 会長
新百合ヶ丘総合病院 名誉院長
慶應義塾大学名誉教授
一般社団法人 吉村やすのり生命(いのち)の環境研究所 代表理事
東京で活躍する岐阜の人ともっとつながり、岐阜に恩返しをしたい
―― 東京岐阜県人会さんの活動や会員さん同士の交流についてお聞かせください。
吉村会長 東京岐阜県人会では、総会のほか、お花見やバーベキューといったイベント、講演会、親睦会などで会員同士の交流を図っています。講演会はこれまでに岐阜県出身の日比野克彦さんや近藤サトさん、井上博成さん(一般社団法人飛騨高山大学設立基金 代表理事)、今年は大石静さんにご講演いただきました。これからはぜひ、今、社会を動かしている30代、40代、50代の方に東京岐阜県人会へ入っていただきたく、呼びかけをしているところです。東京に2箇所ある岐阜県人の学生寮を利用している学生さんにもイベント参加への声をかけていますので、入会のきっかけになればと思っています。
―― 岐阜には頻繁に帰られているそうですね。
吉村会長 はい、予定が詰まっていなければ月に2回ほど、岐阜に戻ってきます。県内であれば白川郷が好きなので、近くの平瀬温泉へは年に2、3回、宿泊に行きます。白山白川郷ホワイトロードも好きです。岐阜市の自宅に戻ってきた時は、伊奈波神社の辺りなど、歩いてご飯を食べにいくことが多いのですが、柳ケ瀬商店街を通るたびに、肩がぶつかり合うくらい賑やかだった頃を思い出します。今のアーケードが老朽化している姿を見ると悲しくて、もし、僕に私財があったら改修したい気持ちです。私が高校生の時、ちょうど岐阜国体(第20回国民体育大会)が行われた頃に、岐阜市の人口が40万人を超えました。今は減少傾向にあるので、なんとかしたいなと思っています。会長を10年務めて感じたことは、東京にいる方にもっと生まれ故郷の岐阜に想いを寄せてもらいたい、ということです。僕は異常なくらいの岐阜想いなので、余計にそう感じるのかもしれません。岐阜になにか恩返しがしたいと考えています。
人口減少を止めるなら、女性と子どもが輝く社会に
―― 吉村会長は産婦人科医ということで、女性の活躍にも注目されていると思いますが、岐阜出身の女性で気になる方はいらっしゃいますか。
吉村会長 野田聖子さんは尊敬する政治家の一人です。教授時代に対談をしたこともあり、20年ほどのお付き合いがあります。一生懸命仕事をしながら、子育てについてもすごく考えている方で、女性活躍や障がい者に対しての考え方が素晴らしく、将来の日本を背負っていただけると非常にありがたいなと個人的に思っています。ほかにも岐阜県出身の方で立派な方はたくさん、お見えになります。
―― 女性が活躍すると、どのような社会になると考えていますか。
吉村会長 未来を切り拓いていくのは女性と子どもたちです。そのため、女性や子どもが輝かなければこの社会はないと思っています。岐阜がもっと女性目線でものを見られるようになると、非常に幅広いものの考え方ができるようになるしょう。地域が消滅する条件として、かつては3つあり、若い女性が流出すること、高齢者が増えること、生産年齢人口が減少することでした。ところが今は、女性の流出だけが地域消滅の条件になってしまっています。ということは、人口を増やすためには、女性が働きやすい環境と医療環境を整えないといけません。出産ができる環境も整えるということです。このように、女性の立場でものごとを考えないと地域は存続できないのではないでしょうか。 「サステナブルにならないと」というのが私の持論です。幼児教育の無償化や高等教育の無償化、子育て支援は10年前だったら意味があったかもしれませんが、もはや今は若い女性に対する状況を変えないといけません。お金の支援ではなく、女性がどのような視点をもっているかを考えないといけないのです。
―― 具体的にはどのような提案があるでしょうか。
吉村会長 夫婦別姓を認めない国は少子化が止まりません。夫婦別姓と少子化は全く関係ないのでは、とみなさんおっしゃいますが、女性が女性として生きることができる社会にならないと、子どもを産もう、子どもを育てようとは思わないでしょう。世界はSRHR(セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス アンド ライツ「性と生殖に関する健康と権利」)、要するに、自分の健康も自分の生き方も自分で決定できることが当然になっていますが、日本は健康はよくても、まだ、自らの生き方を決めにくい社会です。内閣官房参与を務めていた10年前にSRHRを提案したのですが、みなさん、まったく聞き耳を持たずでした。 だから、今の少子化はある意味、若者のレジスタンスとも言えます。戦後、このような社会にしてしまったことを私たち自身が認識をしないといけないくらい、クリティカルな状況です。女性の環境を変えるためには、社会の意識、男性の意識、職場の意識の3つを変えないといけません。幸いなことに、男性の意識と職場の意識は変化しています。けれど、いまだに変わっていないのが社会の意識です。家族観や価値観、真の多様性を認めるような社会にならないといけないのです。
子どもを育てることは自分を育てること 子どもをもつ喜びも知って欲しい
―― これらのお話をふまえて、若者へ伝えたいメッセージがあればお願いします。
吉村会長 今の若者は私たちの世代より多様な考え方ができますし、男性の育児への関わり方が積極的ですし、女性と男性がともに生きることを大事にして欲しいと思います。そして、産婦人科医の立場として、子どもを授かる喜びを実感して欲しいなという思いが一番にあります。子どもを育てるということは自分を育てるということです。教授時代に総勢、300人以上の医局員の指導をしてきましたが、彼らの教育以上に、1人の自分の子どもを育てる方が圧倒的に難しかったと感じています。この難しさがあるが故に喜びもありましたし、辛いけれど楽しかったのです。このことを若い方に知ってもらいたいと思います。私たちは子どもをもつことの素晴らしさを伝えることも大事です。子どもの頃から自分よりも小さい子とふれあう経験も必要だと思います。
―― 若者の活躍についての応援メッセージをお願いします。
吉村会長 「一歩踏み出して挑戦してみる」ことです。私が学生の頃は多くの同級生が「行ってみよう!」という気持ちだけで海外へ留学に行っていました。一部、飛んで弾けている人もいて、みんな外向き思考で行動していました。ところが、僕はあまり自分で決めてこない生き方をしてきたのです。人に従ってきたことで良いことも多かったのですが、若い方には自分で決めて、自分がやりたいことを行動して欲しいと思います。 私の好きな山本五十六の格言で「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」「やっている 姿を感謝で 見守って 信頼せねば 人は実らず」があります。これは本当にその通りで、私が講師になった頃は若い方と一緒に手術をしてお手本を見せることで実践してもらい、褒めることで人に動いてもらいました。教授になった時は話し合って耳を傾け、認めながら医局員を育てました。教授を辞める頃は、医局員の姿に感謝して見守っていました。 今は、若い方の背中を押すことができるようにしたいと思っています。もし、東京でなにか始めよう、挑戦してみよう、と思われたらぜひ、東京岐阜県人会に参加してみてください。いろんな方とつながりができて、一歩を踏み出すきっかけになるかもしれません。
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