INTERVIEW

Leader's Voice
Interview
林 信秀 会長
一般社団法人 日本経済調査協議会 理事長
株式会社みずほフィナンシャルグループ 顧問
林会長 私は高山で生まれ、子どもの頃は公務員だった父親の転勤で県内各地を回っていました。岐阜高校卒業後に県外へ出て、、東京で大学生活を過ごした後、就職は当時の富士銀行に入行し、勤務地となる東京や海外で生活をしてきました。
ただ、岐阜に対する思い入れは強く、岐阜高校の校歌の一節「百折不撓」を私の座右の銘にしています。百折不撓は「100回失敗してもめげずに頑張れ」という意味です。東京に出て自ら切り拓くのは大変で、人生山あり谷あり、失敗も多い中で自分への教訓として頑張ってきました。 そうしたことから、岐阜は自分のベースになっています。出身地を聞かれた時は「岐阜です。岐阜はいいところです」と、岐阜の魅力を発信しています。
林会長 大垣市にある実家に96歳の母親と兄夫婦が暮らしていて、年に1回は帰省しています。だから、大垣市には愛着がありますね。あと、高校の同窓生と 年に1回の旅行を楽しんでいます。40人近くが参加する2泊3日のバス旅行で、高山・白川郷、北陸へ、また、高山市にある高校時代の合宿所「山の家(林間学舎 友學館)」を見学したり、広島や山口へ行って高校の修学旅行を再現したり。テーマを決めて幹事さんがプランを考えてくれます。
同級生が集まって肩書き関係なく喋ってるうちに、高校時代に戻ってお互いに「おまえも随分変わったな」と言い合いながら楽しい時間を過ごしています。東京にいる仲間と飲み会もしますし、いろんな人の繋がりがあるといいですよね。
もちろん大学時代や会社の仲間ともお付き合いがありますし、いろんな交流の輪が広がっていますが、岐阜由来の仲間は私の1つの大事な財産になっています。だから、岐阜の縁やいろんな魅力を大事にしていきたいなと思っています。
林会長 前会長の吉村さんが10年間、一生懸命に取り組まれてきた県人会を引き継ぐことになります。在京でありながら、岐阜県に由来のある人たちと気軽に交流・懇親ができる会です。時代が変わり、若い人の考え方も変化していますが、県人会を一つの親睦団体として、みなさんが来たくなる、交流したくなるような会を目指していきたいと思います。
具体的には、年に1回の総会や懇親会ではface to faceで年齢関係なく交流ができ、知事や県議会議長、県選出の国会議員、各市町村長さんにも来ていただけるので、いろんな広がりができます。社会の中でネットワークを作ると、仕事だけではなく、プライベートも含めて豊かな人生を送ることができるので、そのきっかけになるような県人会にしていきたい、と思います。少しでも岐阜に恩返しができればという想いで、後輩や若い人たちのお手伝いができればと思っています。
林会長 大きな県で自然に恵まれていて、食材もおいしく、私は昔から歴史小説が好きなので、いろいろな歴史の舞台になっているところにも魅力を感じます。京都に近く、壬申の乱の舞台にもなっていますし、戦国時代の英雄も出ています。岐阜城や金華山を見ていると、昔の人たちはあそこから濃尾平野をどうやって治めようか考えていたのかと思いを馳せることができます。斎藤道三から龍興、織田信長へとつなげることができますし、私は一時期、墨俣町に住んでいましたので、豊臣秀吉の一夜城の歴史もあっておもしろいですよね。
食材も岐阜の辺りのおでんは味噌だれをつけて食べたり、大垣の方はにしんそばを食べる関西圏の食文化があったり。みたらし団子も高山は醤油味で、同じ岐阜県の中でも食文化や味が違うところもおもしろさを感じます。
過去にヘリコプターの試乗で金華山の上から岐阜を眺めたことがありますが、その時の金華山がきれいで、長良川も雄大で、すごく美しい景色でした。人も、歴史も、食材も、自然も、地元の方が考えてる以上に岐阜はすごくいいものをもっています。海外の方が多く訪れるということは魅力があるからこそ。岐阜の方は奥ゆかしいのであまり自慢はされませんが、どんどん魅力を発信していけば、もっとたくさんの人が訪れると思います。
2017年から当時の安倍首相からの指名を受けて、APECビジネス諮問委員会(ABAC)の日本委員を務めていました。外務省や経産省と連携しながら、どのように日本の声を世界へ届けるかという活動に取り組みました。古田知事も世界へ岐阜の魅力を発信してこられましたが、この会議を通じて感じたのは、日本の立場・魅力を世界に理解してもらう努力が必要だということです。ぜひみなさんも岐阜の魅力に誇りをもって、自慢していただければと思います。
林会長 開会式では、岐阜県内各地の伝統芸能や無形文化財が紹介されており、岐阜には魅力的なコンテンツがたくさんあることに改めて気付かされました。東京岐阜県人会の総会には各市町村の紹介パンフレットが並ぶので、東京にいながらにして、岐阜県の魅力を感じていただければと思います。
林会長 当時は女子よりも男子の方が多かったので、クラスによってはほぼ男子校状態でした。授業中に弁当を食べたり、体操着が洗濯されずに入ったロッカーはすごい匂いがしたり、そのような高校時代でした。懐かしいですね。私は成績が悪くて(笑)。高校に行ったらみんな頭のいい人ばかりで、すごく劣等感にさいなまされました。英語は何を言っているのか全然わからず、先生は厳しいし、すごく怒られましたし。通学に時間がかかったのと、他の人の勉強に追いつかなければと思っているうちに、部活には入りそびれました。
林会長 全然でした(笑)。本が好きで、高校生の時が一番、本を読んでいました。ロシアのトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフとか、あとは歴史小説や海外の小説を読んでいました。当時はロマンチストでしたから「風と共に去りぬ」のような小説も好きで、映画も観に行って感動しました。高校時代は試験が終わるとみんなで映画館へ行ってゴッドファーザーやエクソシストも観ましたね。
だから成績は落ちる一方で、大学受験はうまくいかず、浪人をして1年間、勉強しました。東京大学に受かって高校の先生に報告したら、岐高の奇跡だと言われました。夢は諦めずに、失敗してもめげずに頑張る、そこに尽きます。
林会長 以前、岐阜高校で「岐阜から世界へ」をテーマに、講演をしたことがありました。昔は大企業に就職することがゴールでしたが、今は学生時代から起業して、大きく羽ばたく人もいる時代です、といったお話をしたところ、「高校をやめて起業したい」という生徒さんがいましたが、まずは高校を出ようとお話しました。どのような環境であっても、自らの考えや目標をもって自分のキャリアを切り拓く人になるためにも教育は大事です。学生時代に勉強をして、仲間を増やして、人の刺激を受けることがすごく大事だと思います。
学生のみなさんは悩んでるんですよね。世の中どんどん変わっていきますが、頼りになる最後は自分です。起業しなくても、会社に入ったら自分で何を目指し、何をやりたいかという志があると、周りも評価してくれますし、応援してくれます。会社側もエンゲージメントの高い社員を求めていますから、受け身ではなく、自らの強い思いがないと埋もれてしまいます。全部成功するとは思わず、失敗することも考えて、失敗を自分の肥やしにして挑戦してほしいと思います。
林会長 海外の若い人たちはみんなハングリーです。どうやって頑張って、どうキャリアを積んで、生活を豊かにしてお金を儲けるのか、ということを考えていて、目がキラキラしています。
いろいろな講演会で伝えているのですが、Appleの創業者、スティーブ・ジョブズが言った"Stay hungry, stay foolish"のように、朝起きた時に自分の命があと1日しかないとして自分はどのように1日を過ごすべきかを考え、絶えずハングリーに、とにかく自分の夢に向かって挑戦することが大事です。 アメリカのプライベート・ファンドのKKRの創設者、ヘンリー・クラビスは、すごく貪欲で、「若者は心地よいところから出て、挑戦する環境に自らを置け」と言います。一歩を踏み出して、自ら知らないところもノックをしてビジネスをやろうとか、いろんな価値観の中で新しいことに挑戦すると、だんだん器が大きくなります。イチローも「楽な道と厳しい道があったら厳しい道を選ぶ」と言っていました。だから彼は投手もできるし打者もできる、走力もあるし、すごくストイックに野球に打ち込むことができたのでしょう。
若い方には自分で人生を切り拓いていくことを考えてもらいたいですし、いろいろな人と接することで刺激を受けて、きっかけや気づきにつなげて欲しいと思います。そのためにも、人との交流が自分にとっての大きな財産になると思います。
■東京岐阜県人会のホームページはこちら
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