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美濃桃山陶の聖地 人間国宝・加藤孝造先生の作陶拠点「平柴谷陶房」

美濃桃山陶の聖地 人間国宝・加藤孝造先生の作陶拠点「平柴谷陶房」 | ぎふ清流ボイス

人間国宝・加藤孝造先生がこよなく愛した場所

可児市久々利の山中を進んだ突き当たりにある「平柴谷陶房」。鳥のさえずりが時折心地よく響く以外、静けさに包まれた空間は、木々の緑が目にも鮮やかで、たたずんでいるだけで心をそっと癒してくれます。ここは、2023年に亡くなられた人間国宝の加藤孝造先生が自宅のある多治見市から毎日のように通って制作に没頭し、愛した場所です。

陶房外観

山野草が咲き誇る手入れの行き届いた庭

広い敷地の中には、「居宅」「陶房」「登り窯」「穴窯」、若手の陶芸家を指導した私塾「風塾」が配置されています。敷地内のあちらこちらには加藤先生こだわりの庭が作られ、たくさんの山野草が目を楽しませてくれます。四季折々に色とりどりの花を咲かせる木々も植えられ、自然を愛した加藤先生の思いがいっぱい詰まった居心地のよいステキな空間です。

山野草が目を楽しませてくれる庭

生前そのままの雰囲気を現在に伝える

「居宅」は、日中の休憩スペースとして使用された場所で、ゆったりしたたたずまい。玄関先には「ひらしば」と刻まれた加藤先生作の陶製行灯が灯り、屋内は生前の加藤先生の暮らしぶりがわかる雰囲気をそのまま保っています。

居宅外観

ひらしばと刻まれた陶製行灯

2丁のロクロがある「陶房」は、加藤先生が最も長い時間を過ごした場所。玄関の上に掲げられた扁額は、岐阜県陶磁器試験場時代の場長で、加藤先生がとてもお世話になった5代加藤幸兵衛氏に揮毫してもらったものです。壁には加藤先生が仕事をするときの作務衣などが掛けられ、生前の様子をそのままに残しています。棚に目を移すと削り整形までの品、ロクロ場には水指など素焼き後の品も見ることができます。道具は筆や数種類の手製のヘラなどのみで、数も種類も簡素。保存状態が非常によい陶房を目の当たりにすると、ただひたすらに陶器と向き合った加藤先生の仕事ぶりが目に浮かんでくるようです。

陶房玄関の扁額

陶房内観

手製のヘラや筆が並ぶ棚

作陶道具

土と向き合い、炎を見守る

茶碗だけならば一度に200個ほど入れることができるという「穴窯」は昭和46年に製作したもの。窯は角度が大切で、荒川豊蔵先生と一緒にこの地を訪れて、「この傾斜ならよいだろう」と助言を受けて決めたそうです。窯焚きの所要時間は炙りを含めておよそ1週間。ゆっくり温度を上げて使用します。24時間つきっきりで窯焚きをするため、窯のすぐ横の建物でお弟子さんや知人の方たちと寝泊まりし、主に志野、瀬戸黒などの茶陶を制作しました。窯の現状を保存するためには、定期的な火入れなどのメンテナンスが必要になります。ただし、技術や費用などの負担もかかるので、可児市重要無形文化財保持者で、加藤先生の内弟子である堀俊郎氏と相談しながら検討を進めています。

穴窯

古民家を移築した趣ある風情

若い陶芸家たちを指導した「風塾」は、主に2棟の古民家を合体させて設計された建物。主体は新潟県小千谷に残されていた江戸時代末期頃の旧家を移築したもので、古材や建具などを含めると数軒分を併せて改造されています。前庭には、加藤先生の手による陶製オブジェ。存在感を放つ球体の織部作品は、かつて多治見市の白山町交差点に設置されていたもので、手元に戻され移設されています。

廊下は長い柘植材の一枚板。畳敷きの大広間は上部に大きな吹き抜けが広がる開放的な空間。鎌倉彫の古時計、雑誌にも紹介されたことがある李朝の箪笥、弥生土器の壺、元東大寺管長・清水公照氏作の陶製人形、額装した荒川先生からの手紙などが飾られています。

風塾外観

風塾前庭

風塾1階

 

2階和室は加藤先生がスケッチや書を描いていた場所。文机や床の間などは、ほぼ生前のまま残しています。照明器具はフランクロイド・ライト作。日本に2つしかない品だそうです。ギャラリーでは釉薬や器種のバランスを考えた20点ほどの作品を見ることができ、人間国宝・加藤孝造ワールドに浸ることができます。

風塾吹き抜け

風塾2階ギャラリー

ギャラリー作品

美濃桃山陶のファンを増やしていきたい

2023年4月に加藤先生が亡くなられた後、同年10月に個人のご遺志とご遺族の総意によって、平柴谷陶房は可児市に寄贈されました。現在、敷地の管理は市の職員が1日おきに建物の空気の入れ替え、清掃活動を実施し、加藤先生のこだわり、思い入れの強い山野草などを大切に生かしながら、生前のたたずまいを残すことに努めています。

冨田成輝 可児市長

陶房敷地内

生前から親交が深く、「本音のお付き合いをさせていただいて、とてもかわいがっていただきました」という冨田成輝可児市長は、「私自身は美濃桃山陶のことを一人でも多くの方に知ってもらい、ファンになってもらいたいという気持ちが強いです。孝造先生も『何も気にしなくていいから、好きな人に来てもらったらいい』とおっしゃってくれました。でも貴重な建物を傷つけるわけにはいきませんから、そういうわけにもいきません」と語ります。可児市として、加藤先生の陶器作品だけでなく、先生のこだわり、美意識の象徴として残していきたいという思いも持っています。現在は、可児市を訪れたお客様を招待したり、陶芸講座の最終回や子ども向け陶芸講座の一環など限定的な利活用が検討されていますが、少し時間をかけて最適な活用方法を検討していくそうです。

平柴谷陶房は、作品はもちろん人間国宝である加藤先生の仕事風景を肌で感じることのできるとても貴重でステキな空間です。今後どのような活用になっていくのか、大きな期待を持ちながら楽しみに待ちたいと思います。

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