好奇心からの行動力で、
経験を積んでいく

美濃加茂商工会議所会頭
鈴木登さん
(加茂自動車株式会社 代表取締役社長
株式会社ホンダ自販岐阜 代表取締役社長)

花火、歴史行列、マラソン、
まち一体となったイベントを開催

-- 鈴木会頭は4期、12年間、美濃加茂商工会議所の会頭を務めていらっしゃいますが、美濃加茂市への思いをお聞かせください。

鈴木会頭 美濃加茂商工会議所では市全体の企業力を底上げすること、いわゆる「地域力」を高めることに力を入れています。美濃加茂市の人口は増えてはいるのですが、その理由は加茂地域7町村(坂祝町、富加町、川辺町、七宗町、八百津町、白川村、東白川村)から美濃加茂市に転入しているため。加茂地域全体としての人口は減少しています。さらに、若年労働者が地元を離れてしまうことが多く、私たちはそこに危機感をもっています。人手不足の深刻化、将来の後継者問題にもつながっていくからです。そのためにも、個々がワンランク、ツーランクもアップした、魅力ある企業となる必要があると考え、商工会議所はそのサポートができればと取り組んでいます。

-- まちを盛り上げるために、どのようなイベントを開催しているのでしょうか。

鈴木会頭 コロナ禍のため、2年ほどイベントを中止していますが、商工会議所が中心になって開催するイベントがいくつかあります。一つは、ぎふ清流里山公園を会場にした「みのかも市民まつり」です。地元飲食店による出店や物販品販売をするイベントで、毎年11月に開催し、4〜5万人のお客様が集まります。8月の「おん祭 MINOKAMO 夏の陣」では市民花火大会を、10月の「おん祭 MINOKAMO 秋の陣」では太田宿中山道まつりを開催しています。

-- 太田宿中山道まつりはどのようなお祭りでしょうか。

鈴木会頭 14代将軍徳川家茂に嫁いだ、皇女和宮様が宿泊した太田宿を会場にしたイベントです。歴史絵巻のような姫道中では、歴代の将軍に嫁いだ6人のお姫様や武士に扮した約100人の市民による行列、火縄銃演舞などを行い、大変、華やかに開催されます。商工会議所も協賛しており、今年はぜひ、開催したいと計画をしています。

みのかも市民まつり

市民花火大会

太田宿中山道まつり

-- 1月にはハーフマラソン大会を開催されていますね。

鈴木会頭 新年1月に開催する「みのかもハーフマラソン大会」は寒風吹き荒ぶ中、ぎふ清流里山公園の園内や周辺エリアの里山風景を眺めながら走っていただける大会です。北は北海道、南は沖縄県からランナーが集まる人気の大会になっていて、商工会議所は「おもてなしを第一に」を掲げ、ランナー全員に栄養満点の豚汁「かも丸鍋」を配布するなど、遠方から来られる方へのおもてなしに徹しています。飲食店や物販の出店もしているので、全国に美濃加茂市をアピールする機会になっています。

みのかもハーフマラソン大会

みのかもハーフマラソン大会で「かも丸鍋」を配布

世界を歩き回り、その場所の良さ、
事実を知る

-- 他にもお好きな美濃加茂市の風景があれば教えてください。

鈴木会頭 私は運動不足解消のために、ウォーキングをしています。1週間にある程度の距離を目標にして、朝に夕に歩きますが、自宅近くにある前平公園が最適です。木曽川河畔もいい風景ではないでしょうか。四季の移ろいを感じ、いろいろな考えごとをしながら歩いています。

ぎふ里山清流公園

木曽川河畔

-- スポーツは長年、続けていらっしゃるのでしょうか。

鈴木会頭 小・中学校は野球少年でした、高校、大学では、ヨットをやっていました。高校時代は小さなヨットでレースを、大学時代は外洋レースをしていました。八丈島などの伊豆七島を中心にクルージングしていました。ヨットによる外洋クルージングは「天気まかせ」「風まかせ」で予定が立ちません。時間に追われる社会人になってからはなかなかできませんが、いつかはまた海に戻りたいと思っています。

-- 足腰がお強いのではないでしょうか。

鈴木会頭 高校時代、ヨット部の友人と「海ばかり、たまには他の事をしよう」と、山へトレッキングに出かけることもあり、足腰の強さは自慢できます。足腰が元気でないと、醍醐味のある海外旅行はできないですから。

-- 醍醐味のある海外旅行とは?

鈴木会頭 海外へは数え切れないほど旅行に行っていますが、歩いた先に絶景はあります。28歳頃はバックパッカーでベトナム戦争が終わる前年(1974年)にアジア主要20ヵ国を2カ月半かけてまわりました。当時は東パキスタン(現バングラディッシュ)、セイロン(現スリランカ)、ビルマ(現ミャンマー)の時代でした。現在はアジアの至る所で紛争が起きていますが、当時は南北ベトナム以外の国々は、比較的平和な時代で楽しい旅行でした。

-- 当時、バックパッカーで海外を巡っていれば、危険な経験もされたのではないでしょうか。

鈴木会頭 紛争地域の国境地帯が一番危険だったのではないでしょうか。かつてのサイゴン(現ホーチミン)のホテルに宿泊中、夜中に遠くで雷鳴がするので、朝、ホテルのボーイに聞くと「あれは大砲の音だ」と言っていました。国境では警官に銃を突きつけられたこともありました。街中では地図を持ってウロウロせず、旅慣れた質素な格好をしていれば危険なことはありませんでした。

-- お気に入りの国はありますか。

鈴木会頭 日中平和友好条約が結ばれた翌々年(1973年)に上海へ行ってから、中国に大変興味を持ってしまい、以来、北は黒龍江省のハルビン、南は広東省の海南島、西はチベットのラサまで、だいたいの地を訪れました。最初は景色を見るための旅行だったのですが、最終的には三国志好きが高じて、長江沿いの「三国志」ゆかりの史跡をリュックを背負って、ずいぶんと旅をしました。赤壁の戦いから五丈原の戦いの地、劉備玄徳終焉の地、白帝城まで足を運びました。
中国は長期間、滞在してみたいと思う場所がたくさんあります。大都市よりも奥地の小都市が良いですね。長江沿いでは三峡ダムがまだできていない頃、近くの街に宿泊したことがあり、そこは2000年の歴史を持つ古城と老街の美しい静かないいまちでした。

-- 本もお好きなのですね。

鈴木会頭 私は偏った読書好きで、戦記物か政治経済書以外は殆ど読みません。「三国志」はしっかり読んで現地にも行きましたし、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」に出てくる場所にも行きました。例えば、二〇三高地から旅順港を見下ろしてきたり、乃木将軍とステッセル将軍が会見した水師営に行ったりもしました。二〇三高地まで上るルートは現在、公園になっていて、そこには中国語で看板に「日露による愚戦の地」と書いてあり、日本人として非常に虚しく思いました。一方、三国志になると、長江沿いで諸葛孔明がここで東南の風を吹かせたけどこんな時期に風は吹かないだろうな、とか、絶壁になっているここにどうして軍隊が進むことができたのだろう、という考察をしました。

-- ご自身の目で確かめるため、現地へ行くのでしょうか。

鈴木会頭 私は第二次世界大戦で日本が敗戦した昭和20年生まれで、日本が明治以降富国強兵策を急ぎ欧米列強に宣戦し無条件降伏した昭和20年は何かの因縁であり、これまでの敗戦に至った経緯を知るため、明治維新以降、戊辰戦争、西南の役、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、しっかり史実を読みました。日本人として私なりに理解し、後世に伝えて行きたいと思います。

経験をすること、自分の目で見て
納得することで説得力が増します

-- 多趣味でとても健康的な鈴木会頭ですが、普段の生活について教えてください。

鈴木会頭 お酒は適度に飲み、昔はヘビースモーカーでしたが、今はやめています。好き嫌いなく、出された料理は最後まできれいに食べます。入院をしたことはありますが、これまでに大病をしたことはありません。今の日常的に取り組んでいる趣味はウォーキングかスポーツカーに乗ることです。私たちの若い頃の憧れはやはりスポーツカーで、社会人になって以降、スポーツカーに乗り続けています。

-- 最後、人生経験を積まれた会頭から若い方へのメッセージをいただけますか。

鈴木会頭 若い方へ伝えたいことは「好奇心を持って経験すること」です。それによって成功体験も失敗体験も人生の財産になります。チャレンジ精神を持ち続けて欲しいと思います。

■美濃加茂商工会議所
〒505-0042 岐阜県美濃加茂市太田本町1-1-20
TEL.0574-24-0123
FAX.0574-24-0120