岐阜県商工会議所青年部連合会 志津野 茜 会長

Leader's Voice

一歩踏み出すことで素敵な出会いがある

岐阜県商工会議所青年部連合会志津野茜会長

Interview

岐阜県商工会議所青年部連合会

志津野 茜 会長

各務原商工会議所青年部所属
株式会社志津野

スローガンは“一歩一会”

―― 今年度の活動内容について教えてください。

志津野会長 今年度の活動としては例年通り 2ヶ月に1回の役員会と委員会を実施していきます。今年度は、研修と交流を委員会の方で二本柱として受け持ってもらいますが、研修の中でミニ勉強会を実施しています。すでに4月に開催したのですが、何のために連合会があるのかという話を、過去に県連会長やブロック会長をされていた方に講演してもらいました。

交流については、これまで懇親会は単会が企画していたのですが、そうではなく委員会で企画することにしました。それは懇親会に意味を持たせたいという思いがあったからです。今、33名の方が出向してくれていますが、どうしても中心メンバーだけでの話し合いになりがちです。委員会持ち回りにして企画に参加することで、みんなが一度は主役になれるようにしました。

私自身、令和6年に単会の会長をさせてもらって、県連に初めて理事として出向しました。でも、役員は委員会のメンバーと関わることが少なくてもったいないと感じました。岐阜県は6つの単会と他県に比べて単会が少ない分、仲がいいことが魅力なのですが、意外に交流する場が少なくてもったいないと感じていましたので、今年度は少し改革させてもらいました。

―― 令和6年度に役員として参加した時の経験が今回に生きているというわけですね。

志津野会長 はい。今年度のスローガンは“一歩一会”にしました。一歩踏み出すことで素敵な出会いがありますという思いを込めました。私自身、もともとは引っ込み思案で、先輩から「県連に出向するといいよ」と勧めてもらったこともありましたが、「いえ、出向はちょっと」「私なんか」という感じでハードルが高いと感じていました。

「県連は楽しいと聞くし、興味はあるけど」という方も参加できるように、オブザーバーも受け入れるようにしましたし、その点でも研修と交流を少しオープンな形にしました。多くの方が一歩踏み出すためのきっかけになればと考えています。小さい勇気を出して一歩踏み出せば、大きく広がることを伝えたいと思っていますし、その仕組みをつくりたいと考えています。

―― 令和6年度、県連に参加したことで自分自身、大きな成果があったということですか?

志津野会長 県連の事業を進めることももちろん大事ですが、外の人たちと出会って、そこで得た知識をフィードバックしてどう生かすかも、とても重要だと感じました。外とのつながりがとても大事だと思いましたし、同期会長は仲がよくて、勉強会もやったりします。そうしたものを後輩たちにも伝えることができたらと思っています。あとは、うちの単会で当たり前のことが、ほかの単会では新しいこと、珍しい取り組みということもありますので、交流することでお互いの単会がさらに磨かれていくと思います。

涙の意味がわかるまで続けよう

―― 個人的な話も伺いたいと思います。商工会議所青年部に入られて何年になりますか?

志津野会長 11年目になります。元々、違う勉強会に参加していて、そこで加入促進をやっている青年部の委員会の方と出会いました。大学進学を機に地元から離れて、私自身、地元のことを全然知りませんでした。当時、各務原商工会議所青年部は「各務原カレー祭り」という事業を実施していたのですが、そんなことも知りませんでした。 地元に戻ってきて、事業をやるのに地元のことを何も知らないのはよくないと思っていましたし、小売業ですから基本的に“待ち”の姿勢です。お客様に来店してもらって交流する仕事ですから、多様な人と出会うこともありません。業界的に横のつながりもあまりないので、「まず2時間だけ研修に参加してみませんか」と誘われたのをきっかけに入会することになりました。ただ、入会後、結婚、出産もありましたので、休んでいた期間もあります。

―― その意味では、仕事や子育てとの両立についてはいかがですか?

志津野会長 入会したのが25歳でした。当時は独身でしたが、青年部の活動は基本的に夕方からですから、仕事を少し早めに切り上げて参加できますから、仕事との両立について大きな問題はありませんでした。役員になると、少し時間もとられますが、そこは両親や従業員の方もサポートしてくれますから感謝しています。

―― 青年部の活動が10年を超えたわけですが、これまで印象に残っている出来事はありますか?

志津野会長 入会して2年目のときですが、東海ブロックの大会が各務原主管で開催されました。「キャラバン行くよ」と言われて、「キャラバンって何?」。大会があると言われて、「スポーツ大会でもやるんですか?」というぐらい右も左もわからない状態でした。先輩に指示されたことをただこなすだけで毎日が過ぎていったのですが、大会が終わって実行委員長のあいさつがありました。その時、実行委員長が涙を流しながら話されていた姿がとても印象的でした。私は涙の意味がわからなかったです。でも中心として動いた方には本当にたくさんの苦労があったのだと思います。その時、この涙の意味が分かるまで続けようと思いました。

その後、結婚、出産があって青年部からは少し距離を置いていたのですが、数年後に各務原で全国大会が行われることになって、その会長を決める臨時総会が開かれることになりました。その会長は、日本商工会議所青年部会長にもなりますので、日本の会長を決めることにもなります。大変な時間を拘束されることになりますし、重責を担うわけですから、何もできないけれど、知らないというのではあまりにも無責任だと感じて、久しぶりに総会に参加しました。それをきっかけに、また青年部に復帰しました。

性別、年齢、職業の関係なく仲間ができる

―― それも一つの大きな転機になったわけですね。

志津野会長 はい。そして全国大会の時は、「フランクミュラーの時計をつくってくれないか。公式グッズでとして販売したい」と言われました。会社へ持ち帰って、話をしたところ結構もめました。青年部のグッズですからお店で販売することもできません。「作るのはいいけれど、本当に売れるのか」という声もあったのですが、最終的には会社を説得して会社としてつくって販売することになりました。

ただ、お店で販売できないですから、私自身が売りに行くしかありません。でも、これは会社の店舗だけではできない経験だったので、仕事としてはとても貴重な経験をさせてもらったと思います。その時に出会った全国各地の方々とはつながりが続いていますし、今でもありがたいことにお店に買い物にも来てくれます。

―― 令和6年度には各務原商工会議所青年部の会長も務めたわけですが、そのときの思い出深い事業はありますか?

志津野会長 岐阜各務野高校と事業提携して、ビジネスコンテストを開催したことです。青年部に所属する5つの企業と生徒がコラボして課題解決に向けたプランをプレゼンする内容ですが、青年部は自己研鑽というか内向きな事業が多くて、意外と外との交流事業が少ないと感じていました。お祭りに出店することはありましたが、それだけではなかなか青年部のことを知ってもらうには至りません。青年部のことをもっと知ってもらいたいという思いもあって開催しました。

若い方たちにとって、なかなか中小企業が第一希望になることはないのかもしれませんが、こうした事業を通して、地元企業を知ってもらって、「あっ、この会社、ビジネスコンテストに出ていた会社だ」という具合に、中小企業の魅力を知ってもらうことにつながればと思っています。

―― 最後になりますが、今後はどんな活動をしていきたいですか?

志津野会長 先輩からは「ご恩送り」だよと言われ続けてきました。「やってもらってうれしかったことを後輩に伝えていって、つないでいってほしい」とは、よく言われました。私自身、青年部に入らなければ、仕事で会社に行って、お客様とつながるだけだったと思います。でも、青年部の最大の魅力は性別も年齢も職業も関係なく仲間になれることだと思います。大人になってからは、なかなかつくれない関係だと思うので、そういう仲間がいることは本当にありがたいと思っています。

さらにいうと、県連に参加して、全国の仲間と知り合うことで、経営の悩みなども相談することもできましたし、本当にありがたいと思います。その魅力を後輩にはぜひ伝えていきたいと思います。


岐阜県商工会議所青年部連合会
WEBサイト
https://www.yeg-gifu.org

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