INTERVIEW
Leader's Voice
“失敗”と書いて”成長”と読む
努力した時間は無駄にはならない
Interview
柳原 幸一 筆頭代表幹事
株式会社鵜飼 取締役会長
会員同士の交流を深め、さらに活動を広げて欲しい
―― 岐阜県経済同友会さんの活動方針を教えてください。
柳原筆頭代表幹事 今回、3つの目標を立てました。
1つは「今を知る」です。経済も政治も社会や世界の情勢の今を知ることが大切で、会員さんは日頃から勉強をされ、個人の資質向上を目指されています。経済同友会では毎月、著名な方からのお話を聞く会員例会を設けており、今まで積み上げてきた会員さんの経験や知識に足していただいています。
2つ目は、このような会員さんの知識や実践を踏まえ、将来「こうなってほしい」「こうなるといいね」ということを提言させていただいています。提言は多数ありますが、その中から2件ほど選び、毎年、政策当局や産業界に提言をして、少しでも社会の課題解決に向け、いい方向が見出せられるよう活動しています。岐阜県経済同友会は2025年10月に創立40周年を迎えますが、この2つは長年、経済同友会の事業目的となっています。
そして、今以上にもっともっとコミュニケーションをとって、他の会員さんの考えや活動を知ることができるような場をつくることを3つ目の目標にしています。例えば、例会の際に横の繋がりができるよう、例会前に軽く交流ができる時間をつくれないかと考えています。今までにも、年に3回ほど懇親会はしていましたが、今回はティータイムのような、会場に来られた方がコーヒーとケーキを円テーブルでいただく時間があってもいいのではと考えています。同じテーブルに座られた方は自然に名刺交換し始めますよね。気軽に交流できる雰囲気があっても良いのではないでしょうか。
―― 講演会にはどのような方が講師になられるのでしょうか。
柳原筆頭代表幹事 講演会は経営者の方々に有益な情報を提供することが目的です。ただ、経営や経済の話題だけではなく、自分の考えをもった方やアスリートなど、話題性のある方を呼び、新しい会員さんにも興味をもっていただけるような講演会も考えています。例えば、若いアスリートはものすごく素直で、目標に向かってどのような努力をして、達成するために何をしてきたのかという感動的なお話をしてくださいます。年間を通して幅広いジャンルの方をお呼びして、さまざまなお話を聞いていただき、会員さん同士でワイワイと話題にしていただくことも一つの広がりにつながると思っています。
―― 2025年は岐阜県経済同友会創立40周年を迎えられますね。
柳原筆頭代表幹事 創立した40年前はバブル期で、その5年後には会員が600名ほどいました。ところが、2024年3月末は360名ほどです。そこで、ちょうど40周年を迎える2025年には40名を純増させて400名にしたいと考えています。数字合わせですが、おもしろいスローガンになるのではないかと思っています。
経営者に向いていた、文系の柳原筆頭代表幹事
―― 家業である「株式会社 鵜飼」を継がれた経緯を教えてください。
柳原筆頭代表幹事 弊社は私の父が設立した会社です。父は戦争中、飛行機の組み立てなどをしていた技術系の仕事で教官も務めたことから、金属プレスや組立を行う機械関連の会社を設立しました。ただ、父のような技術者は一途に自分のやりたいことを推し進めてしまうので、後継者は経理や営業ができる文系の方がいいということになりました。
私には3つ下の弟がいるのですが、彼も理系です。一つ、エピソードがあって、小さい頃に父と弟と3人で銭湯へ行った時、弟の「あれはどうなの、これはどうしてこうなるの。」という質問に父が面倒くさがっていたら、隣で頭を洗っていた人に「息子がこんなにも質問をしているのだからちゃんと答えないと」と言われ、父がハッとしたことがありました。それから父と弟は話が合っていましたね。中学・高校生時代は、私がテストで75点をとって喜んでいるのに、弟は95点で落ち込んでいるような兄弟で。大学生時代は下宿先が一緒で、掃除などのお世話をしてくれた下宿先の方からは「お兄ちゃんの部屋は整理整頓されているけれど、弟さんは足の踏み場もないくらい。両方足して2人分。」と言われるほど、性格が異なっていました。
弟は建築を学んでその道に進みましたから、こういう経緯もあり、私は銀行で6年8か月お世話になってから、当社に入社し、今に至ります。弟は今、新エネルギーの研究をしていまして、「兄貴、ちょっとアラスカに行ってくる。」なんて言っています。
―― 学生時代などにスポーツはされていましたか。
柳原筆頭代表幹事 小中学生の時は野球をやっていましたが、ポジションはピッチャーか3塁手、打順は3番か4番でなければやらない、というタイプでした(笑)。銀行の入行後は野球同好会に入りました。何本かホームランも打っていたのですが、ある日、三塁を守っていたところ、ギリギリ追いつけるはずのあたりをスッと抜かれちゃって。「あ、これはもういかん。申し訳ない。皆さんに迷惑をかける。」と思ったことと、もう1つ、「パシっと取って投げてアウトにするという私の美学に反する。」と思ったことで、急遽、引退しました。団体記録が私のせいで負けたと思うのが嫌で、申し訳ないと感じてしまうのです。だから、今は個人競技のゴルフです。年間で60回ほどラウンドし、自分の健康管理のためにゴルフをしています。どれくらい疲れたのかとか、 足や膝がどうだったとか、何事もなくプレーができたら健康だとか。明るく遊んでいます。
リーダーはつくるのではなく、できてくる
―― 岐阜県の良さや好きなところはありますか。
柳原筆頭代表幹事 逆説的かもしれませんが、嫌だと思うところがない、暮らしやすくて、人と繋がりやすくて、景色もいい、災害も少ないのが岐阜県のイメージです。今までに困ったことがあまりないという良さを、もう少し県民のみなさんが意識すると岐阜県のPRになるのではないでしょうか。
―― 岐阜県は今後、どのように発展していくと思われますか。また、若い方の力は今後、必要になってくると思われますか。
柳原筆頭代表幹事 飛騨高山は観光で人気があるように、全県でまとまって何かをするというより、それぞれの地域の特色を表に出すと良いのではないでしょうか。若い人に何かをポンと与えてやってもらうという場をもっともっと作らないといけないと思います。岐阜県内には若い首長さんも多いので、夢をもって自分の色を出してもらいたいと思います。岐阜県にはまだまだチャンスがあると思います。
―― 学生時代はどのように過ごされていましたか。
柳原筆頭代表幹事 74年の人生の中で、今でも思うのは高校3年間がバラ色だったことです。楽しくてしかたがなかったのです。思い返してみると、私たちの時代の高校受験は9教科あって、主要5教科がそれぞれ100点満点と、音楽、体育、美術、技術がそれぞれ50点満点で全教科700点満点でした。中学生の時の模擬試験もあまりいい結果ではなく、入試翌日の岐阜新聞さんの解答で自己採点するとあまりよい点数ではなかったのですが、無事、岐阜高校に入学できました。
その順位がどうだったかというと、1年生の前期の中間試験で生物のテストが0点で、生物の担当の先生から戻った答案用紙に「君は何のためにここに入ったのか。人生考え直せ。」と書いてあったんです。きっと500人中の460番ぐらいだったのでしょう。ギリギリ通ったということです。
―― なぜ、バラ色の3年間だったのでしょうか。
柳原筆頭代表幹事 こういう状況でしたから、私の周りはみんな秀才。だから、分からないことや、先生が言ったことを周りの友達に全部聞きまくりました。そうすると、コツコツ、コツコツ教えてくれますし、それだけではなく、ふらふらと柳ケ瀬まで歩いて帰宅したり、書店やゲーセンに寄ったりして、楽しんでいました。
私にいろいろ教えてくれた仲間たちとは今でもいろんな繋がりがありますし、会えなくても仲間の近況が話題にあがります。私がこの話をすると、先輩や後輩からは「(成績がよくないと)灰色だ、黒色だ」と言われます。けれど、楽しい3年間だったのです。だから、今、若いみなさんに「自分には個性があるんだ」と認識することが大切なことを伝えたいと思います。
―― 実際、そのようなお話しを子どもたちや学生さんにお話しされたことはありますか。
柳原筆頭代表幹事 中学生を対象にした「ぎふ立志リーダー養成塾」でお話ししたことがあります。これは岐阜県の事業で、毎回、岐阜県経済同友会の筆頭代表幹事が塾長を務めています。参加した中学生のほとんどが生徒会長を務めている生徒さんで、すでにトップリーダーではあるのですが、「リーダーとはこうあるべき」という型にはめてしまうと、せっかく個性豊かな24人の生徒さんが1種類のリーダーだけになってしまいます。
リーダーはつくるのではなく、できてくるものだと思うので、24通りのリーダーがいて良いのです。
彼らから話を聞くと、全然失敗したことがないし、これからもしたくないという気持ちが強いと感じたので、私の高校受験の経験を交えて「底辺の近くにいても、自分の気持ちの持ち方と動き方次第でどんどん変われる。」ということをお話ししました。
―― 大学受験はいかがでしたか。
柳原筆頭代表幹事 私の時はちょうど1969年で、東大安田講堂事件を受けて東京大学が入学試験を中止にした年です。東大を受けられなくなってしまった成績上位の生徒もいました。私も受験を失敗したので、翌年、私立一本、しかも、検察官になる夢をもっていたので、法学部法律学科一本で。入学したのは慶応大学ですが、どうやらその頃の慶応は、司法試験を受ける人はあまりいない学校だったようです。
自分の目標に対して、事前準備せずに入ったのである意味、失敗なのですが、同級生に言わせると「お前はいかにも慶応の顔をしている」と言われたので、まあいいかなと(笑)。大学生時代もそんな感じで、司法試験も全然受かりませんでした。
卒業後は銀行に就職したのですが、銀行は法律的な問題を厳格に守らないといけないところがあり、銀行内などでいろんな法律関連の試験があっても六法全書を紐解くのは苦手ではなく、何とか通ったので、「これで良かったんだ」と思いました。
だから、中学生にも「努力したことが報われなくても、その時間は全く無意味になるのではなく、その時にしたことを整理整頓して、自分の引き出しの中にしまっておけば、必ず人生のどこかでその引き出しの中が役立ちますよ」という話もしました。
―― 中学生に響くといいですね。
柳原筆頭代表幹事 「失敗しないようにするにはどうしたら良いですか」という質問を受けましたが、私は答えようがないので「1回、失敗してください。”失敗”と書いて”成長”と読みます。失敗はイコール成長だから」と伝えました。失敗したらなぜ失敗したのか、また、次に同じチャンスがあった時にどうすれば失敗せず進められるか考えて欲しいと思います。考えて行動することこそが自分の身になるからです。
順風満帆で、何もなく人生を過ごすことに私は心配してしまいます。さまざまなことを経験しながら、私のモットーである「明るく、楽しく、元気よく」、「信じて、ブレずに、最後まで」やる方が、いざという時にリーダーとして力を発揮するのだと思います。
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