INTERVIEW
Leader's Voice
「川辺セブンマウンテン」が人気を博す
カフェなど立ち寄りスポットも新たにオープン
Interview
佐藤 光宏 町長
山がテーマの音楽フェス
2回目の今年は昨年以上の賑わい
―― 川辺町の最近の動きについて教えてください。
佐藤町長 10月に「KAWABE MOUNTAIN FES.FUMOTO2024」が開催されました。今年で2回目の開催になったのですが、キッチンカー、飲食ブース、物品販売なども含めて88 軒の出展があり、大変賑わいました。去年の来場者が推定で8,000人と言われていましたが、今年は推計9,000人の方にお越しいただけたと思います。以前は産業文化祭として2日間行っていましたが、昨年からは1日だけの開催にもかかわらず、これだけの方が来ていただけるようになり、大変うれしく思っています。車を見ても、愛知ナンバーが非常に多いですし、町外からのお客さまが多いのも特徴です。客層も若くなって、とても活気があります。
―― 山登りについても、大変賑わっているようですね。
佐藤町長 はい。元々、ふるさと愛好会という民間団体が大谷山、八坂山、鬼飛山という山々の整備をスタートしました。その活動に触発されて、下麻生活性化委員会が遠見山、納古山の手入れを始めました。続いて、ふるさと下吉田愛好会が権現山、ふるさと米田富士愛好会が米田富士を整備するようになり、今では四つの民間団体がそれぞれ登山道の整備を進めてくれています。
町民有志の方々のおかげで、山の整備は進み、中でも遠見山山頂から見下ろす景色は“岐阜のグランドキャニオン”と呼ばれるようになり、登山客も大変増えました。そこで、駐車場とトイレを町で整備しました。今後も活性化に尽力してくれている皆さんをサポートしていきたいと思います。
肥田玄蕃、稲葉一鉄配下の武将…
興味深い歴史や手伝説も残る
―― 今でこそ、四つの民間団体が整備をしてくれているという話でしたが、そもそものきっかけはどこから始まったのでしょうか?
佐藤町長 最初はふるさと愛好会が大谷山を整備したことからスタートしています。もう30年近く前になるかもしれませんが、四国の八十八カ所巡りにならって、八十八カ所に石仏を安置して、八十八カ所巡拝道として整備しました。せっかく整備したから守っていかなければならないということで、地域の方々が協力して、整備を続けてくれていました。また、大谷山から連なる八坂山は標高225mと、それほど高さはありませんが、頂上からは当町内を一望することができる眺望が広がり、大変美しい初日の出を見ることができる場所でもあります。手軽に登れる山ということで、園児や小学生たちの遠足にも利用される機会も増え、整備が進んでいきました。こうした流れが、ほかの山にも波及して、現在の好循環につながっていると思います。
―― 今では「川辺セブンマウンテン」と称して、人気を博しているわけですね。
佐藤町長 はい。認知度も上がっていますし、登山客も増えて、地域住民の頑張りが成果につながって大変うれしく思います。飛騨川を挟んで、左岸に米田富士と権現山、右岸に鬼飛山、大谷山、八坂山、遠見山、納古山があります。まずは右岸の五つの山を登山道で結ぼうということで、現在は半分ぐらいできました。来年ぐらいまでには納古山の上までつながり、一番南の鬼飛山から納古山まで結べる予定です。すべてがつながったら、スタンプラリーなども計画できたらと考えています。
―― それだけ登山者が増えると、周辺には新たな立ち寄りスポットなどもできたのではないですか?
佐藤町長 はい。下麻生地区では、民間の方が頑張ってくれています。そば屋で知られる「山法師」が、五平餅の販売と「うな勝」という、うなぎ屋を開店しました。平和錦酒造は古民家カフェ「久兵衛」を手がけていますし、町外の方が「line side cafe」というカフェをオープンしてくれました。少しずつですが、かつての輝きが戻るのは大変うれしいことですし、今後、さらにいろいろなお店が増えていくことを期待しています。
―― これだけ山があって、山頂にはかつて城もあったようですね。
佐藤町長 はい。米田富士には肥田玄蕃という戦国武将が城というか櫓のようなものを建てたようです。当時は、兼山に森蘭丸の父である森長可という有名な戦国武将がいて、長可に攻め滅ぼされました。遠見山には下麻生城があり、稲葉一鉄配下の武将が櫓を守っていましたが、勢いに乗った長可に、こちらも攻め滅ぼされました。遠見山は岩山で、崖が切り立ったようになっています。残念ながら落城するときは、女性や子どもたちは落下傘のように、傘をさして飛び降りたという伝説も残っています。当町は決して大きくないまちですが、いろいろと興味深い歴史が残っています。
若い女性客が訪れる
新たな憩いの空間「クースの家」
―― 川辺町の象徴の一つである「山川橋」にも歴史があるようですね。
佐藤町長 はい。山川橋については、昔は橋がなくて渡し舟がありました。岸に椿が生えていたことから、椿の渡しと呼ばれていたそうです。ただ、渡し舟だと台風の時、危険ですし、増水すると渡ることができませんので、橋を作ることになりました。大正12年に肥料問屋を営んでいた山本鎌次郎さんが町に3万円を寄付して吊り橋を作ったそうです。ただ、吊り橋も台風などで被害を受け、中部電力が川辺ダムを作るときに、橋脚が25mほどある橋を新たに作りました。吊り橋当時に使われた主塔は今も残っていて、現在は日没時から夜の10時頃までライトアップされ、美しい姿を見せています。ちなみに山川橋の名称は、山本鎌次郎さんの「山」と、飛騨川の「川」から名づけられたそうです。
―― 最後になりますが、「山楠公園」に新しく完成した「クースの家」が人気を集めてているようですね。
佐藤町長 はい。山楠公園は芝生広場や遊具などがある町民憩いの場所です。鬼飛山の登山口もあって、登山客にも親しまれています。公園のシンボルとして大きなクスノキがあるのですが、クスノキは傾斜地にあり、根も地表に露出しています。根の保護とともに新しい憩いの場を作りたいと若手職員がアイデアを出してくれました。設計したのは岐阜県立森林文化アカデミーの学生で、ウッドデザイン賞2023も受賞しました。ネーミングについては町内の小学生に募集したところ、92点の応募がありその中から「クースの家」に決まりました。クースの家が完成してからは、若い女性が多く訪れるようになって、変化も出てきています。
川辺町役場
〒509-0393 岐阜県加茂郡川辺町中川辺1518-4
TEL.0574-53-2511 FAX.0574-53-2374
川辺町のホームページはこちら
川辺町の情報
面積:41.18km2
人口:9,761人(令和6年12月1日)
町の花:さつき
名所・旧跡・観光
岐阜県川辺漕艇場 飛騨木曽川国定公園 川辺おどり 南天の滝
隣接する自治体
美濃加茂市|七宗町|八百津町
商工会のご案内
川辺町商工会のホームページはこちら