INTERVIEW
Leader's Voice

Interview
都竹 淳也 市長
都竹市長 Co-Innovation大学の認可が8月に決まり、いよいよ来年4月の開校を目指して本格的にスタートしています。共創学部地域共創学科という学科があって定員は120名です。非常に面白い大学で、名前も変わっていますが、一言でいうと、地域づくり人材の育成をする大学です。市役所がお金を出しているように思われている方もいますが、民設民営ですから当市はお金を出していません。純粋な民営ですから考え方としては企業誘致と同じです。ただ、教育機関であることと、地域づくり人材を育成する大学ということで、当市もサポートしています。

地域づくりに関心を持っている子供たちを全国から集めることがコンセプトになっていますから、当市のような人口減少が進んだ課題先進地は格好のフィールドです。その意味では当市役所がやっていることと、考え方が合致しています。その意味で全面的に支援をしてきました。
おもしろいところは、まず大きなキャンパスの建物はありません。街中の空き家、空き店舗、空き旅館やホテルを借り上げて街中キャンパスにするという構想です。教授室も街中の建物になります。もう一つは、学生は、当市には基本的に1年しかいません。2年生以降は全国15の地域に滞在して、スタッフとして地域づくりにかかわりながら、オンラインで当市とつながりながら、学習と実習をセットで行います。
ボンディングシップというものがあります。いわゆるインターンシップなのですが、地域をつなぐという意味のボンドから来ています。これが週に3回あります。地域おこし協力隊のようなものと言ってもいいと思います。そして週1回半はオンラインでつなぐ講義になります。このカリキュラムが2年生以降続いていくことになります。ボンディングシップについてはNPO法人G-netがインターンシップのノウハウを提供して連携しますので、品質保証についてはG-netが関わる仕組みにもなっています。
少子化の時代です。コストがかかると運営が難しいですが建物を建てないモデルですからコストがかかりません。しかも2年生以降は全国に散っていって、全国の受け入れ先が責任をもって対応してくれます。
議会でも答弁しましたが、学長の宮田裕章さんをはじめ、教授陣が個性的な人が多いです。その方たちと直接つながることも大きいです。普通は頼んで講演をしてもらったり、委員になってもらうことはあるとしても、普段から当市にいることは通常ないわけですから、そのことは当市にとって、途方もない財産だと思います。

Co-Innovation大学開学決定発表
都竹市長 私は、「元気であんきな誇りの持てるふるさと飛騨市」を3期目のスローガンに掲げています。誇りの持てるについては、地域資源を掘り起こして地域の自信につなげていこうという意味があるのですが、その中で注目しているのは歴史・文化です。
一つは飛騨古川祭です。飛騨古川祭は、市長になった年の10月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。それを機に、飛騨古川祭をしっかり研究しようということで、編纂委員会を立ち上げ、過去の歴史を徹底的に掘り起こして、資料が1万点を超えました。そのことによって、歴史の空白だった部分が埋まるようになってきて、今年度は執筆に入っていて、来年度に刊行の予定になっています。このプロセスにおいては、新しく出てきた資料の報告会を開催したのですが、どの報告会も100人以上の市民が来て、とても盛り上がっています。祭り好きな方が多い市民にとっての、誇り、自信につながっていると改めて感じています。

古川祭の屋台曳そろえ

古川祭の起し太鼓
都竹市長 山城は隠れていた資源を掘り起こそうということで、取り組んできたことの一つです。当市内にはたくさんの山城があります。古川盆地は室町時代に国司として赴任してきた姉小路氏が治めたのですが、姉小路氏の山城があり、主要なものとして五つ挙げられます。
山城は知らない人が見ると、ただの山です。でも、城に詳しい人が見ると、堀切、虎口、曲輪などがきちんと残っています。そこで国の史跡を目指そうということで、平成29年からスタートしました。当初、私の頭の中には古墳がありました。でも市民との意見交換会で小島城の保存会の方から「ぜひ山城をやってくれ」と言われました。そうかと思って、そこからスタートしました。その後着々と準備を進めて、昨年、国の史跡に指定されました。
史跡に指定されると保存活用計画を立てなければなりませんので、現在力を入れているところです。山城は現地に行って話を聞かないとわかりません。そのためには説明する人が必要になりますのでガイドを養成することにしました。ガイドになるには試験もあるのですが、15人のガイドが誕生しました。

姉小路氏城跡・古川城跡の虎口石垣
都竹市長 江馬氏館跡は、神岡町時代に発掘して、会所を復元して、田んぼの中に埋まっていた庭を掘り起こして復元しました。市長になってすぐ、「立派なものがあるが、活用が進んでいない」と言われましたので、自由に使っていこうという発想の下で、様々な取り組みを進めてきました。まちづくり実行委員会が中心になっていますが、お茶会、そばを食べる会、フレンチを食べる会、さらには中秋の名月の日にヨガをやったり、モルック御前試合など様々なイベントを開催してくれています。9月には薪能「藤橋」の公演も行われました。夕方6時からスタートして、やがて日が沈んで、徐々に月が姿を現す雰囲気もとても素晴らしかったです。こうした取り組みにより、昨年は入館者数が過去最大になりました。

江馬氏館跡の堀の修復ワークショップ

薪能「藤橋」公演
ここはお客様を供応した場所であることもわかっていますので、「江馬・室町 饗応膳」を予約制で食べることもできます。一乗谷・朝倉氏の記録が残っていましたので、学芸員が当時の文献を研究して当時のお殿様がふるまっていた料理を現代風にアレンジして提供しています。ぜひ一度ご賞味いただければと思います。

江馬・室町 饗応膳

江馬・室町 饗応膳

江馬・室町 饗応膳
都竹市長 旧宮川村が平成のはじめにつくったものですが、とても遠い場所にあります。当市役所から車で40分ほどかかります。館内には江戸時代から昭和にかけての民具が展示してありますが、一番奥に縄文時代の石棒があります。石棒は男性のシンボル像です。この地域で1074本出土していて、一番立派な石棒はガラスケースに入っていて回転するようになっています。展示もしっかりしていて、とても見事です。ただ、遠すぎて人が来ません。おまけに旧宮川村は高齢化が進んでいて、管理人を募集してもなり手がいません。そのため、私が市長になった当時は、見学希望者があると、学芸員が鍵を開けに行くという運用形態でした。
なんとかしようということで、管理人の募集を積極的にやりましたが、なり手が現れません。そうこうしているうちに、職員から「石棒クラブをつくろう」という提案がありました。石棒を撮影する撮影会を開いたり、撮影した写真から3D化する合宿も行いました。しかも3D化したものは商用利用OKにしました。そんな活動を続けている間に話題になって、文化財活用の全国的な先進例として取り上げられるようになりました。
ただ、それでも人手不足は変わりません。そこで年間30日だけ開館することにしました。発想の転換だということで、それを年間に30日“しか”開かない博物館だということでPRしたら、また話題になりました。その結果、昨年は過去最高、800名以上の来館者がありました。
さらに現在は、無人管理をしようということで、マイナンバーカードで予約が入るとパスワードを送って、パスワードで鍵を解除できるようにしました。もちろん監視システムも入っていますので、持ち出しはできないようになっています。
先ほどの3D化と商用利用の話ですが、これについては、普通はまず許可しないです。土の中から出てきた埋蔵物は、法律では所有している自治体の所有物になりますので、当市に所有権があります。しかし、当時は多くの自治体は市の所有物だから撮影するなんて、とんでもない、ましてや商用利用などあり得ないというスタンスです。でも、私はおかしいと思いました。石棒は何も道具がない縄文時代につくったものです。とてもなめらかです。ひょっとすると一つつくるのに何十年もかかったかもしれません。そうした苦労があって、できたものを勝手に掘り出して、自分のものだと所有権を主張するなんておかしいと思いました。やっぱり縄文時代の人々の所有物なんだと思います。ですから、縄文人に敬意を払って、自由に使ってもらうことが大事なんです。すでにペンダント、ローソクなど、いろいろなものがつくられています。

石棒展
都竹市長 小説『あゝ野麦峠』に代表されるように、明治時代から大正にかけて、飛騨から岡谷へ工女が働きに出ました。女工哀史といわれて、過酷な労働条件で寒風吹きすさぶ中、峠を血だらけになりながら歩いて行って、行ったら衛生環境が悪い中で怒鳴られ、怒られ、ひどい目にあわされたというものでした。私もそう思っていました。
ところが飛騨の語り部の方が、「私のおばあちゃんが映画を見て怒り出しました。こんなことはなかった。もっとよくしてもらったと言っていました」と語っていました。『あゝ野麦峠』の原作は取材に基づくルポルタージュですが、所々でフィクションが混じっています。原作の中には、「よくしてもらった」という証言もたくさん書かれています。そこで、当市として、歴史の掘り起こしをする必要があると考えて調査してみました。
岡谷市に岡谷蚕糸博物館があります。「飛騨市では、よくしてもらったと証言するおばあちゃんがいました」と伝えると、館長も市長も「よく言ってくれました」と言われました。続けて「明治時代のことです。労働基準法もありませんし、確かに労働条件は厳しかったと思います。でも、あの時代なりに女工さんをケアしていました。でも一方的に悪者扱いです。加害者の立場ですから、ケアしていましたなどとは言えないです。そこを飛騨市から問題を明らかにしたいと言ってもらえたのは本当にうれしいです」と言われました。
それで研究を始めました。ところが資料が少なくて難航しました。でも、当市内在住の元教員の方が調べてくれて、レポートにまとめてくれました。その発表の場として、『愛しの糸引き工女展』を開催しました。
先日は岡谷市で講演をしました。岡谷市の方々には大変喜んでいただき、新聞でも取り上げられました。後日、記者から「歴史を変えるのか」「暗い歴史があったことを消すのか」「自分のおばあちゃんはひどい目にあったと、自分は聞いた」など反論の手紙が来たと伝えられました。
あの時代ですから、過酷だったことはわかります。でも客観的にみて、「よくしてもらった」という証言が多いです。豊かな産業交流があったわけです。講演で私は、「女工哀史ではなく、女工を讃える女工讃史だ」と話しました。これも歴史の掘り起こしだと思っています。
都竹市長 旧古川町は古川町・細江村・小鷹利村が合併してできましたが、膨大な役場の文書がとてもよい状態で残っていました。ざっと2万点あります。江戸時代の旧家から出てきたものもあって、天領の時代に代官に命令されて地域の調査をしますが、そのときの絵図も残っていますし、金森のお殿様が来た時に出したおふれ書きも残っています。さらに明治期以降の行政文書も大変克明に残っています。何人が兵隊に行って帰ってきたなどの記録もあります。当時は軍の命令で文書はすべて処分されましたので、どこの役場でも焼いてしまいました。でも残しておかないといけないと思った人がいたのでしょう。そっくりそのまま残っていました。
昨年、公文書に大変詳しい岐阜大学の早川先生に見ていただいたところ「これだけ残っているのは珍しいです。役場の日誌、議会の会議録、日常的なことなど、こんなに克明なものはない。文化財級です」と言われました。ですから保全して文化財指定が受けられるよう取り組んでいます。
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