INTERVIEW
Leader's Voice
岐阜関ケ原古戦場記念館を軸に、史跡地を巡る観光客が増加
Interview
西脇 康世 町長
リピーターにも支えられ、入り込み客数も堅調推移
―― 今日は平日ですが、「岐阜関ケ原古戦場記念館」は多くの方が訪れているようです。好調に推移している感じですね。
西脇町長 今年で開館から4年目を迎えますが、初年度は約10万人の入り込み客数でした。昨年度は年末の時点で16万人を超えていましたから、まずまず順調ではないかと思っています。
―― それだけの方が来るということは、リピーター客も結構いるのではないですか?
西脇町長 はい。「一度来て楽しかったから、今度は家族や友達を連れてきました」というような話もよく聞きます。記念館は、関ケ原合戦を知ってほしいというコンセプトの下に映像などが作られています。関ケ原で徳川家康と石田三成が戦ったことは知っているけれど、どういう背景で戦ったかは知らなかったという方も多いです。巨大な床面のスクリーン「グラウンド・ビジョン」では、当時の雰囲気を凝縮してわかりやすく説明していますので、「関ケ原合戦のことがよくわかった」という声も多く聞きます。
―― 滞在時間は長いですか?
西脇町長 記念館は1階の「グラウンド・ビジョン」や「シアタールーム」、2階の常設展示や体験コーナー、5階の展望室と3つの層で構成されています。ゆっくりと見て回って関ケ原合戦について知ってもらえればと思いますが、短時間でもお楽しみいただけると思います。ただ、また史跡地を巡りながら、各武将が何を思って戦ったのか想像してほしいということも、記念館のコンセプトの一つです。そういった意味では、記念館だけにとどまらず、町内の史跡を巡っている方が非常に多いことは大変ありがたく思っています。
戦の背景を知り、武将の揺れ動く心を実感
―― 記念館を訪れた方は、どんな史跡地を見て回るのでしょうか?
西脇町長 現在、徳川家康・石田三成・福島正則・島津義弘・黒田長政・小早川秀秋・大谷吉継の7武将のコース設定をして、歩くことができるようになっています。これらのコースを基本に、自分の時間と合わせながら巡っていただいています。暖かくなってきましたので、これからのシーズンは、リュックを背負って歩く方の姿も多く見ることができると思います。
―― 史跡地を巡るという意味では、秋には歩きごたえたっぷりのウォーキングイベントも開催されていますね。
西脇町長 はい。秋に「関ケ原陣跡制覇ウォーキング」を開催しています。3つのコースがあり、7kmコース、12kmコース、それから一番長いコースは16kmを歩きます。最初に黒田長政の陣地である岡山に登って、途中の少し険しいところでは小早川秀秋の陣地だった松尾山、さらに大谷吉継陣跡を経由して、笹尾山の頂上がゴールです。上り下りもある16kmですので、5時間はしっかりかかります。私も歩きましたが、最後の笹尾山山頂までが短いながら本当に大変でした(笑)。昨年は1,200人ほどの参加がありましたが、今年も多くの参加者で賑わうと思います。
―― 参加される方は、やはり歴史好きの方が多いですか?
西脇町長 もちろん歴史好きの方の参加は多いですが、そうでない方の参加も多いですよ。山歩きをメインにしている方や、小さなお子さんを連れた家族連れの参加も多いです。
―― 途中で飲食ができるスポットなどもあるのですか?
西脇町長 昼食は各自で持参していただきますが、道中に複数個所の休憩ポイントを設けておもてなしをしています。また昨年はゴールの笹尾山駐車場にキッチンカーの出店がありました。各コースの所要時間の関係上、キッチンカーを利用していた方は、7kmのコースの方が多かったように思います。
昼食の話ですが、16kmコースでは小早川秀秋の陣跡である松尾山で食べている方を多く見かけますし、私自身もそこで食べました。木が大きくなって、以前に比べると下から視界が狭められていますが、やはり松尾山山頂は見晴らしが大変よく、関ケ原の盆地を一望することができます。
関ケ原合戦では、小早川秀秋が裏切りに逡巡していたという逸話がありますが、実際に頂上に登ると、その気持ちもわかる気がします。通説では、合戦当初は西軍が押し気味で、「寝返る約束はしたものの、どうしたものか」と迷ったと言われていますが、まさに、あの地に立つと、どちらが戦を有利に進めているかがよくわかるので、寝返りを躊躇しただろうと想像できます。 ですから、そうした背景を知ったうえで登ると、「それはそうだろうなあ」という実感を持つと思います。
―― 休憩スポットでもあるということで、山頂は開けているわけですか?
西脇町長 山頂には木製ベンチを複数個所に用意しています。松尾山山頂は、関ケ原合戦で毛利輝元の陣所とする想定があって、石田三成が大垣城主だった伊藤盛正に整備をさせました。それ以前にも、砦のようなものだったと思いますが、地元では長亭軒城と呼ばれる山城がありました。曲輪の跡もしっかり残っています。専門家によると、これだけの規模を持った山城は、この地方にはあまりなく、この地方では最大級の山城だと言われています。
二つの宿場町を持つ交通・文化の交差点
―― 話題は変わりまして、関ケ原町の特産についてはいかがですか?
西脇町長 そこは一番困っている部分です。当町は、面積自体はそこそこ広いですが、平地は東西約4km、南北約2km弱しかありません。林業で生きてきたまちなのですが、かつては「関ケ原宿」と「今須宿」という中山道の宿場が二つありました。宿場町は、多くの人やあらゆるものが流通する場所ですから、地元に特産品がなくても事足りてしまうという背景があったと思います。
―― そういう背景があるのですね。関ケ原宿と今須宿は、当時の趣が残っている場所はありますか?
西脇町長 今須宿については、当時の雰囲気を感じられる場所がありますが、残念ながら関ケ原宿はありません。関ケ原宿を通っていた中山道は、現在はそのまま国道21号になっています。全国的に見ても昔の宿場町が通っていた道を国道が走っているところはそれほどないと思います。それだけ関ケ原宿の辺りは道幅が広かったということですね。どうも江戸時代に火事があって、類焼を防ぐために拡張されたようです。関ケ原宿にはかつては旅籠がありましたが、ほとんどが国道ができたことによって商売替えをされたり、家を建て直したりしましたので、現在にその面影は残っていません。ただ、関ケ原宿ではありませんが、野上地区には中山道の松並木がそのまま残っていますので、当時の雰囲気を感じていただけるのではないかと思います。
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関ヶ原町の情報
面積:49.29km2
人口:6,482人(令和4年12月1日)
町の木:すぎ
町の花:うめ
名所・旧跡・観光
関ヶ原古戦場跡
関ヶ原ウォーランド
中山道関ヶ原宿
今須宿
寝物語の里(美濃・近江の国境)
胡麻の郷
隣接する自治体
大垣市|垂井町|揖斐川町
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